気比銅鐸出土地(読み)けひどうたくしゆつどち

日本歴史地名大系 「気比銅鐸出土地」の解説

気比銅鐸出土地
けひどうたくしゆつどち

[現在地名]豊岡市気比 鷲崎

銅鐸埋納遺跡で、銅鐸は気比中央部を北流して日本海に注ぐ気比川右岸沿いの、高さ六メートルほどの岩山一角から発見されたといわれている。岩山は東から延びる小丘陵の先端部にあたり、周囲の土砂を失って独立した岩山となったとみられる。銅鐸は弥生時代中期のものと想定され、大正元年(一九一二)石材採掘中に発見された。工事中の発見であり、詳細は不明な点が多いが、発見当時の記録によれば銅鐸四口は巨岩とこれに寄りかかる二個の石によってできた岩穴の中に、入口を別の石で塞ぎ、その中に横たえられていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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