日本大百科全書(ニッポニカ) 「水任流」の意味・わかりやすい解説
水任流
すいにんりゅう
現存する日本泳法の一流派。1643年(寛永20)に松平頼重(よりしげ)が高松(香川県)藩主として水戸(茨城県)より入国した際に、今泉八郎左衛門に命じて、水戸の島村流(水府流の前身)の泳ぎを高松で教えさせたのが起源といわれている。水任流は幕末までは当所游泳(ゆうえい)術または高松御当所と称していた。そのいわれは、頼重が各種の武芸を組み合わせ、高松御流儀と称したのと同様と考えられる。明治になり一時衰微したが再興され、水府流水任游泳術と称したが、のちに水任流と改めた。水任流には家元も伝書もない。泳法は扇足(あおりあし)を主体とする泳ぎであるが、享和(きょうわ)(1801~04)のころより逆扇となっている。泳法には左・右片熨斗(のし)泳、棒抜手(ぬきて)泳、目つけ泳などがある。
[笹島恒輔]