朝日日本歴史人物事典 「松平頼重」の解説
松平頼重
生年:元和8.7.1(1622.8.7)
江戸前期の讃岐国高松藩(高松市)藩主。江戸生まれ。通称は幼名竹丸,又八郎,のち右京,讃岐守に任ぜられる。父は水戸藩主徳川頼房。母は家臣谷重則の娘。徳川光圀の兄。長男に生まれるが,父の兄(尾張の徳川義直,紀伊の徳川頼宣)に男子がなかったため,公にせず家臣に養育された。寛永16(1639)年常陸国下館5万石の藩主となる。同19年讃岐国高松に転じ12万石を領す。正保1(1644)年には城下に上水道を敷設,また生涯に溜池406を築く。他にも松平高松藩成立の基礎を築く多くの事業を行う。延宝1(1673)年隠居,光圀の子の松平頼常に家督を譲る。<参考文献>松平公益会編『高松藩祖松平頼重伝』
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報