日本歴史地名大系 「水哉園跡」の解説 水哉園跡すいさいえんあと 福岡県:行橋市上稗田村水哉園跡[現在地名]行橋市上稗田長峡(ながお)川の北岸、大分(だいぶ)八幡神社の南にある幕末の儒学者で漢詩人村上仏山の私塾跡。県指定史跡。仏山(ぶつざん)塾ともいう。仏山は文化七年(一八一〇)上稗田(かみひえだ)村で生れ、近村の神官定村直栄に学んだのち、文政七年(一八二四)筑前秋月(現甘木市)の儒学者原古処の私塾古処山(こしよさん)堂に入塾。のち博多の亀井昭陽、京都の貫名海屋、肥前多久の草場佩川・西鼓岳らに学んだ。天保六年(一八三五)帰郷し水哉園を開き、四書五経を中心に漢詩・漢文集を教科書とし、知識よりも道義を教え、理屈よりも実践を尊重した。塾の年間行事に組込まれた仏事供養・神事祭礼・吟行・詩会など、日頃の行いすべてが教育であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by