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草場佩川 くさば

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美術人名辞典の解説

草場佩川

江戸後期の儒者。肥前生。名は韡、字は棣芳、通称を瑳助、別号に索綯・濯纓堂主人・玉女山人等。草場船山は子。はじめ佐賀藩校弘道館に学び、のち江戸に赴き、古賀精里に師事する。頼山陽・篠崎小竹と親交があった。沈南蘋の画風を江越繍浦に学び、のち南宗画に転じ、墨竹を能くした。慶応3年(1867)歿、81才。

草場佩川

江戸後期の儒者。肥前生。名は韡、字は棣芳、通称を瑳助、別号に索綯・濯纓堂主人・玉女山人等。草場船山は子。はじめ佐賀藩校弘道館に学び、のち江戸に赴き、古賀精里に師事する。頼山陽・篠崎小竹と親交があった。沈南蘋の画風を江越繍浦に学び、のち南宗画に転じ、墨竹を能くした。慶応3年(1867)歿、81才。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

くさば‐はいせん【草場佩川】

[1787~1867]江戸後期の儒学者・漢詩人。肥前の人。名は韡。字(あざな)は棣芳。江戸で古賀精里に学び、佐賀藩に仕え、詩と絵に長じた。著「佩川詩鈔」など。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

草場佩川 くさば-はいせん

1787-1867 江戸時代後期の儒者。
天明7年1月7日生まれ。肥前佐賀藩家老多久(たく)氏の家臣。古賀精里にまなぶ。文化8年対馬(つしま)で朝鮮通信使と詩文をかわして名をあげる。のち藩校弘道館教授。漢詩,墨竹画をよくした。慶応3年10月29日死去。81歳。名は韡。字(あざな)は棣芳。通称は瑳(磋)助。別号に珮川,玉女山樵など。著作に「津島日記」,詩集に「珮川詩鈔」など。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

くさばはいせん【草場佩川】

1787‐1867(天明7‐慶応3)
江戸後期の漢詩人,儒者。肥前の人。名は鞾,字は棣芳,通称瑳助,佩川は号。佐賀藩の支藩の多久藩士の家に生まれ,23歳の時江戸に出て,佐賀藩出身の儒者古賀精里について学んだ。のち多久藩の儒官となり,さらに本藩の儒官に進む。資質有能で,藩士の教育だけでなく藩政にも参与し,藩主鍋島閑叟(かんそう)の信任が厚かった。詩人としての才能にも恵まれ,江戸と佐賀をたびたび往復して,菅茶山,市河寛斎,頼山陽らと親交があった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

くさばはいせん【草場佩川】

1787~1867) 江戸後期の儒者・漢詩人。肥前の人。名は韡。江戸で古賀精里に学び、佐賀藩に仕える。絵もよくした。著「佩川詩鈔」

出典|三省堂
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