水無瀬家(読み)みなせけ

改訂新版 世界大百科事典 「水無瀬家」の意味・わかりやすい解説

水無瀬家 (みなせけ)

藤原氏北家兼家の男道隆の後裔。すなわち道隆の後胤坊門中納言親信(1137-97)を祖とする。親信の男坊門親兼および親兼の男信成は後鳥羽上皇寵臣で,親兼は承久の乱後に上皇に従って落飾し,信成もまた法皇没後に出家した。信成の男親成は法皇より譲渡を受けた水無瀬離宮の址に住居し,同所に御影堂を営んで法皇の霊をまつり,これにより以後は水無瀬を称するようになった。ついで親成の男良親は朝廷に仕え,室町時代には重親の没後,子がなかったため三条公冬の男季兼が入って家名を継いだ。江戸時代には羽林家(うりんけ)の一つとして,初め家禄550石,のち631石余を給され,有成が大納言に昇ったほかはだいたい中納言,参議にとどまった。忠輔の代に明治維新となり,1884年華族令の制定に際し子爵を授けられ,水無瀬神宮宮司となった。支流として,七条,町尻,桜井,山井の諸家がある。
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