水田 三喜男
ミズタ ミキオ
- 肩書
- 蔵相,通産相,衆院議員(自民党)
- 生年月日
- 明治38年4月13日
- 出生地
- 千葉県鴨川市
- 学歴
- 京都帝大法学部〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 東京市役所職員や鉄鋼、石油関係会社の役員を経て、戦後昭和21年の総選挙に郷里の千葉県から出馬して初当選。以後、11回当選。自由党幹事長をしていた大野伴睦に認められてからの大野派だが、党人脈では珍しい財政経済通のマルクスボーイ。27年1月第3次吉田内閣改造で党政調会長、28年3月第4次内閣に経済審議庁長官として初入閣した。29年鳩山内閣の発足後は野党になった緒方自由党で再度政調会長となり、30年暮れに自由民主党が誕生すると3度政調会長に。その後、石橋内閣の通産相を経て、35年池田内閣の蔵相となり同内閣の“所得倍増計画”を財政面から支援。続く佐藤内閣でも第3次改造内閣まで引き続いて蔵相に起用されてその“金庫番”を務めた。39年の大野の死後は船田派に属したが、46年には村上派、藤山派を吸収して衆参両院20人の水田派を結成、3年後の田中内閣総辞職の際は“総裁候補”のささやきも聞かれた。
- 没年月日
- 昭和51年12月22日
- 家族
- 二女=水田 宗子(城西国際大学学長)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
水田 三喜男
ミズタ ミキオ
昭和期の政治家 蔵相;通産相;衆院議員(自民党)。
- 生年
- 明治38(1905)年4月13日
- 没年
- 昭和51(1976)年12月22日
- 出生地
- 千葉県鴨川市
- 学歴〔年〕
- 京都帝大法学部〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 東京市役所職員や鉄鋼、石油関係会社の役員を経て、戦後昭和21年の総選挙に郷里の千葉県から出馬して初当選。以後、11回当選。自由党幹事長をしていた大野伴睦に認められてからの大野派だが、党人脈では珍しい財政経済通のマルクスボーイ。27年1月第3次吉田内閣改造で党政調会長、28年3月第4次内閣に経済審議庁長官として初入閣した。29年鳩山内閣の発足後は野党になった緒方自由党で再度政調会長となり、30年暮れに自由民主党が誕生すると3度政調会長に。その後、石橋内閣の通産相を経て、35年池田内閣の蔵相となり同内閣の“所得倍増計画”を財政面から支援。続く佐藤内閣でも第3次改造内閣まで引き続いて蔵相に起用されてその“金庫番”を務めた。39年の大野の死後は船田派に属したが、46年には村上派、藤山派を吸収して衆参両院20人の水田派を結成、3年後の田中内閣総辞職の際は“総裁候補”のささやきも聞かれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
水田三喜男
みずたみきお
[生]1905.4.13. 千葉
[没]1976.12.22. 東京
政治家。京都大学在学中左翼運動に加わり,卒業後実業界に入る。 1946年衆議院議員に初当選。以来連続 13回当選。経済に明るく,自由党,自由民主党でしばしば政務調査会長となる。また通産相,三たび蔵相となり,積極財政論者として高度成長政策を推進した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
水田三喜男 みずた-みきお
1905-1976 昭和時代後期の政治家。
明治38年4月13日生まれ。昭和21年自由党から衆議院議員に当選(当選13回,自民党)。第4次吉田内閣で経済審議庁長官,石橋内閣・第1次岸内閣で通産相,池田内閣・佐藤内閣で5回蔵相となる。政調会長も4回つとめた。積極財政論者で高度経済成長政策の推進役となった。昭和51年12月22日死去。71歳。千葉県出身。京都帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
水田 三喜男 (みずた みきお)
生年月日:1905年4月13日
昭和時代の政治家。蔵相;通産相;衆院議員
1976年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報