自由民主党(読み)じゆうみんしゅとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

自由民主党
じゆうみんしゅとう

日本の政党。保守政党。第2次世界大戦後の保守合同以来,長期間政権の座を占め,日本の政治を支配した。1955年11月,自由党日本民主党が合同して結成された。結成当初は総裁を置かず,鳩山一郎緒方竹虎三木武吉大野伴睦が総裁代行委員となったが,1956年4月の総裁選挙で鳩山一郎が初代総裁に就任。その後,1983年の新自由クラブとの連合を除き,1993年まで単独政権を維持した。鳩山内閣は 1956年に日ソ共同宣言に調印した。岸信介内閣は 1960年に日米安全保障条約の改定を行ない(→安保改定問題),池田勇人内閣は 1964年に経済協力開発機構 OECDに加盟,佐藤栄作内閣は 1972年5月に沖縄返還を実現した。また,同 1972年7月に成立した田中角栄内閣は 9月に日中国交正常化(→日中共同声明)を実現するなど,戦後日本政治史の大きな部分で,政権担当政党としての役割を果たした。最大の保守政党として,財界の強力な支持のみならず,建設業者,中小企業者,農業従事者の支持を集めた。最初の総裁選から有力政治家中心の党内派閥が明確なかたちをとり,当初成立した 8派閥は合従連衡を繰り返したが,弱小派閥の淘汰と世代交代により,1970年代以降には五大派閥に整理され,福田赳夫(岸信介派),大平正芳(池田勇人派),田中角栄(佐藤栄作派),中曽根康弘河野一郎派),三木武夫三木派)が各派閥の領袖を引き継ぎ,総裁・内閣総理大臣を務めた。
1993年7月の衆議院議員総選挙で単独過半数割れとなったため,非自民・非共産による細川護煕連立内閣が成立,保守合同以来 38年ぶりに野党に転落,「55年体制」と称された長期政権は終わった。1994年日本社会党村山富市を首相とする社会党(→社会民主党),自民党新党さきがけによる 3党連立内閣で政権政党に復帰。1996年1月に橋本龍太郎内閣が成立した。同 1996年10月の総選挙後に社会民主党,新党さきがけが閣外協力に転じ,少数単独政権となったが,1998年に成立した小渕恵三内閣は 1999年に自由党(2000離脱),公明党保守党(2000より参加)と組んで政権基盤を固めた。2001年小泉純一郎が政権の座につくと経済と行財政の構造改革を推進,派閥政治打破で歴史的な役割を果たした。2005年郵政民営化の是非を国民に問う総選挙で圧勝,15年ぶりに単独で衆議院の過半数を占めた。しかし小泉後,構造改革のひずみ,社会保険庁の不祥事,衆議院と参議院の「ねじれ国会」,世界金融危機などの処理に苦しんだ安倍晋三福田康夫麻生太郎の各内閣は低迷する内閣支持率にあえぎ,いずれも 1年の短期政権となり,2009年総選挙で惨敗,政権の座を民主党に譲った。稚拙な政権運営を続けた 3代の民主党政権に対する国民の低い評価が 2012年総選挙に反映して,民主党が下野し,安倍総裁が公明党との連立内閣を組織して政権に復帰した。

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知恵蔵の解説

自由民主党

1955年11月15日、自由党と日本民主党との保守合同で結成された。前月に左右社会党が統一し、政権獲得を掲げたことに保守勢力が危機感を抱いたことが、自民党結成につながった。初代総裁は鳩山一郎、2001年4月に首相に就任した小泉純一郎は第20代総裁。小泉首相は参院選後の01年8月、自民党両院議員総会で総裁に再選された。03年9月の総裁選でも再選され、総裁任期が3年に延長された新しい党則が適用されて小泉の任期は06年9月までとなった。自民党は発足以来、1993年の非自民の細川護煕連立政権の誕生まで、一貫して政権の座にあった。非自民の細川、羽田孜両政権が計10カ月で幕を閉じたあと、社会党の村山富市委員長を首相に担ぐ形で政権に復帰。96年1月には再び自民党の橋本龍太郎総裁が首相に就任、その後も自民党の首相が続いている。自民党の存在理由は、まず米ソ対立という冷戦構造の下で、米国との同盟関係を維持してソ連に対抗することだった。反共のイデオロギーが、自民党の最大のアイデンティティーだった。さらに、日本が右肩上がりの経済成長を遂げる中で、日本国内で政治、官僚、業界の密接な関係を築いて利益を配分することだった。しかし、冷戦構造が崩壊し、バブル経済の破綻で利益配分もままならなくなった。自民党は反共と利益誘導という2つの旗印を失ったにもかかわらず、新しい時代の保守主義を確立できないでいる。そこに、90年代以降の日本政治が置かれた混迷の大きな原因がある。99年10月に自民党は公明党と連立を組み、本格的な連立政治に踏み込んだ。2001年に総裁となった小泉首相は「自民党を壊す」とも表明、経済構造改革だけでなく自民党の改革も打ち出しているが、具体的な改革の成果は上がっていない。小泉は03年の総裁選で圧勝すると、49歳の安倍晋三前官房副長官を幹事長に起用、党の若返りをアピールした。03年の総選挙で自民党は過半数(241議席)に4議席足りない237議席を獲得、公明党との連立による政権を継続させた。この総選挙では民主党が177議席をとり、自民党に迫る勢いを見せた。続く04年の参院選では自民党が49議席だったのに対して民主党は50議席を獲得。04年9月の党役員・閣僚人事では安倍が幹事長代理に降格。幹事長に武部勤元農水相が就任した。05年9月の郵政総選挙で自民党は296議席を獲得、86年の中曽根政権下の300議席に並ぶ巨大与党となった。05年11月には結党50周年を迎えた。小泉は「小さな政府」を掲げて、ともすれば「大きな政府」を指向しがちだった自民党政治を改めようとした。しかし、構造改革などによる中央と地方の格差に対する不満も募っている。基本的には小泉路線を引き継ぐ安倍政権が「小さな政府」の方向を維持するのか、修正するのかが争点となっている。

(星浩 朝日新聞記者 / 2007年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

自由民主党

メルケル首相率いるキリスト教民主・社会同盟(同盟)との連立を目指す自由民主党(FDP)は、48年の結党以来、高所得層や企業経営者などを支持基盤に党勢を拡大した。98年まで同盟とも社会民主党(SPD)とも連立政権を組んで国政に参加した。01年に39歳の若さで党首に選ばれたベスターベレ氏のもとで市場寄りの自由主義路線を強めた。同氏は「福祉国家の破壊者」と呼ばれたこともある。同盟との連立政権では、外相就任が取りざたされている。

(2009-09-28 朝日新聞 夕刊 2総合)

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デジタル大辞泉の解説

じゆうみんしゅ‐とう〔ジイウミンシユタウ〕【自由民主党】

昭和30年(1955)自由党日本民主党が合同して結成した保守政党。初代総裁鳩山一郎。以降、財界の利益を代表しつつ、福祉社会保障の拡充などにも努めて長く政権を担当。平成5年(1993)に下野するが、平成6年(1994)政権に復帰。小泉純一郎政権のころから新自由主義の政策に転換を図るも、平成21年(2009)の総選挙民主党に大敗し、再び下野した。平成24年(2012)に政権を奪還。自民党。
ドイツの中道右派政党。1948年設立。以来、キリスト教民主同盟社会民主党のどちらかと組み、連立与党である期間が長い。FDP(エフデーペー)(Freie Demokratische Partei)。
英国の中道政党。かつての二大政党の一翼ながら衰退していた自由党が、労働党を離脱した社会民主党と1988年に合同し、社会自由民主党として結成。翌年に改称。小選挙区制のため得票率の割に議席数は伸び悩むが、2010年に保守党と連立しキャメロン政権の与党となった。

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百科事典マイペディアの解説

自由民主党【じゆうみんしゅとう】

自民党と略称。1955年11月吉田茂緒方竹虎の自由党と鳩山一郎日本民主党とが合同して結成された保守政党。綱領は,文化的民主国家の完成,自由独立の完成,民生の安定と福祉国家の完成など。同年10月の左右両派合同による日本社会党結成は保守陣営に衝撃を与え,特に保守政権の安定を望む財界からの強い要求もあって保守合同が実現した(55年体制)。この結果衆議院議員は300名となり,これを基盤に第三次鳩山一郎内閣が成立。1956年4月鳩山が党総裁に就任し,綱領に憲法改正,安保体制堅持などをかかげた。のち石橋湛山(たんざん)(1956年12月),岸信介(1957年),池田勇人(はやと)(1960年)がそれぞれ総裁となり組閣。池田は所得倍増政策をかかげ高度経済成長を軌道にのせたが,のち官僚派の佐藤栄作と党人派の河野一郎との対立を中心に派閥抗争が激化,池田の推薦で1964年佐藤が首相,総裁となる。 自民党は1969年末の総選挙でも第一党となり1970年1月第三次佐藤栄作内閣が成立,さらに同年10月佐藤は4度総裁に選ばれたが,1972年6月辞任,代わって田中角栄が総裁に選出された。1974年,金権・金脈体質を指弾されて田中角栄総裁が辞任。代わって三木武夫が総裁に選ばれたが,1976年のロッキード事件の処理をめぐって党内で三木降し工作が行われ福田赳夫(たけお)に代わった。同年,河野洋平らは離党し新自由クラブを結成。1978年,初の全党員参加による総裁選挙が行われ,大平正芳が総裁に就任。その後,鈴木善幸(ぜんこう),中曾根康弘竹下登宇野宗佑(そうすけ),海部俊樹宮沢喜一,河野洋平が総裁に就任。1983年―1986年には新自由クラブとの連立内閣を結成したが,長期間の実質的な自民党一党支配は,省庁の官僚機構との結合を前提に,派閥ごとの後援会や業界団体との連携を介する集票と利益分配のシステムに支えられてきた。長期にわたる政権独占は必然的にさまざまの腐敗をもたらした。 1993年,新生党新党さきがけの分離により衆議院で過半数を維持できず,細川護煕(もりひろ)を首班とする非自民連立内閣の成立により野党となった。しかし1994年日本社会党,新党さきがけと連立し与党に復帰。1995年橋本龍太郎が総裁に就任,1996年村山富市首相の辞任を受けて首相について自民党主導の政権を復活させた。橋本は第二次まで内閣を率いたが,1998年7月の参議院選挙で自民党が大敗したため総裁を辞任,同時に内閣総辞職し,自民党総裁,内閣総理大臣には小渕恵三(おぶちけいぞう)が就任した。小渕恵三内閣は,発足当初は自民党単独であったが,1999年に自由党,さらに公明党と連立した。2000年小渕首相の病気入院による退陣を受けて森喜朗内閣が成立したが,低支持率に陥り,2001年に小泉純一郎が総裁・首相に選出,2003年再選された。2005年に衆議院選挙(郵政選挙)で圧勝したが,2007年小泉退任後総裁・首相に選任された安倍晋三は,参議院選挙で惨敗し結党以来初めて,参議院で第一党から転落,その後,福田康夫麻生太郎と総裁・首相が毎年替わる事態が続き,支持率が低迷。2009年8月の衆議院総選挙で,獲得議席119で,民主党に歴史的な大敗を喫し,野党に転落した。しかし,2010年7月の参議院選挙で51議席を獲得,改選第一党となり,与党を参院過半数割れに追い込んだ。さらに地方選でも勝利し党勢を回復基調とした。2012年12月の衆院選では,谷垣禎一の後を襲った安倍晋三総裁のもとで294議席を獲得,第一党の座を奪還,公明党との連立で第二次安倍晋三内閣を発足させた。議席数では自民党の圧勝となったが,投票率は歴史的な政権交代となった前回に比べて10ポイント下落の59.32%と過去最低であり,自民党も比例区の得票を減らす結果となっている。これは前回民主党を支持した無党派層が民主党政権に失望して投票に行かず,さらに第3極の新党や少数政党が乱立して選挙戦の争点が焦点化されないまま,自民党が漁夫の利を得た結果。2013年7月の参院選では自民党が現行制度下では最多となる65議席を獲得し参議院でも第一党に返り咲き,自公与党が多数を占める。2014年12月の衆院選では単独で絶対安定多数の266を超える291議席となり政権与党としては公明と合わせて議席数の3分の2を超える。ただしこの衆院選の投票率も,戦後最低だった前回2012年の59.32%を大きく下回る52.66%で最低記録を更新した。
→関連項目池田勇人内閣石橋湛山内閣宇都宮徳馬宇野宗佑内閣大平正芳内閣岡田克也小沢一郎海部俊樹内閣岸信介内閣自由党(日本)新進党鈴木善幸内閣竹下登内閣武村正義田中角栄内閣中曾根康弘内閣二階堂進日本日本維新の会橋下徹橋本龍太郎内閣羽田孜鳩山由紀夫福田赳夫内閣藤山愛一郎細川護煕内閣松村謙三三木武夫内閣宮沢喜一内閣民主党(日本)村山富市内閣森喜朗

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世界大百科事典 第2版の解説

じゆうみんしゅとう【自由民主党】

日本の保守党。略称自民党。1955年11月15日に結成された。自民党は敗戦の1945年以降,昭和20年代を通じ離合集散を繰り返した保守諸党が合同した保守単一政党であった。時を同じくして左右両派を統一した日本社会党と二大政党制(政党制)を形成し,〈55年体制〉と呼ばれた。しかしその実質は,11/2政党制であり,自民党は以後38年間,単独政権の座を保持し長期支配を続けた。この間,93年の分裂,野党への転落にいたるまでに,76年に小分裂が起こり新自由クラブが結成されたが,83年12月,自民党はその新自クと結成以来初の小連立を成立させ,やがて86年には新自クを解消させ吸収した。

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大辞林 第三版の解説

じゆうみんしゅとう【自由民主党】

1955年(昭和30)11月、自由党と日本民主党が合同して結成した保守政党。初代総裁は鳩山一郎。以後、93年(平成5)に細川連立内閣が成立するまで、長期にわたって政権を維持した。自民党。 LDP 。

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世界大百科事典内の自由民主党の言及

【55年体制】より

…1955年(昭和30)秋に,左右両派社会党の統一によって再発足した日本社会党と,日本民主党と自由党の保守合同によって結成された自由民主党の2党を軸として成立した政党制をいう。
[背景]
 1951年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結への賛否をめぐって左右両派の対立が激化,分裂してから4年ぶりに統一した社会党と,戦後の保守勢力の離合集散に終止符を打って誕生した自民党によって,政治勢力が2極的に配置される形となり,この体制は,二大政党制の幕開けとして広く歓迎された。…

【派閥】より

…それは,〈公的公式集団の中に形成された私的非公式集団で,閉鎖的な同調性をもち〉(石田雄),〈権力を私的に把握し,あるいは把握せんとして,他者あるいは他集団と対立抗争し,集団成員に対しては私的な庇護の恩恵を与える〉(安田三郎)ものである。しかし現在狭義には,〈派閥〉という言葉は,1955年の結党以来ずっと日本の支配政党である自由民主党の,いわば本質的属性としてほとんど国際的にも認知された用語といえるであろう。 自民党の派閥が〈権力の私的な把握〉と,〈その内部で“親分”の私的庇護と“子分”の従属〉という典型を形づくった原因は二つある。…

※「自由民主党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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