20世紀日本人名事典 「水落露石」の解説 水落 露石ミズオチ ロセキ 明治・大正期の俳人 生年明治5年3月11日(1872年) 没年大正8(1919)年4月10日 出生地大阪・船場 本名水落 義弌 学歴〔年〕大阪商卒 経歴早くから漢学、絵画、茶道、謡曲、金石文などを修め、20歳頃から俳句を作り「日本」に投句。明治29年京阪満月会をおこして新俳句運動をすすめる。しかし大正期には新傾向派に転じた。句集に「圭蛙句集」「蛙鼓」など。古俳書の蒐集や蕪村を中心とする俳諧史の研究でも知られ、編著「蕪村遺稿」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水落露石」の解説 水落露石 みずおち-ろせき 1872-1919 明治-大正時代の俳人。明治5年3月11日生まれ。大阪船場の商家をつぐ。正岡子規に師事し,中川四明らと京阪満月会をおこす。俳諧(はいかい)史,とくに与謝蕪村(よさ-ぶそん)の研究で知られた。のち河東碧梧桐(かわひがし-へきごとう)の「海紅」同人。大正8年4月10日死去。48歳。大阪商業卒。本名は義弌。通称は庄兵衛。別号に聴蛙亭。編著に「圭虫句集」「蕪村遺稿」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by