水野健次郎(読み)ミズノ ケンジロウ

20世紀日本人名事典 「水野健次郎」の解説

水野 健次郎
ミズノ ケンジロウ

昭和・平成期の経営者 ミズノ会長。



生年
大正2(1913)年10月7日

没年
平成11(1999)年4月15日

出身地
大阪・船場

学歴〔年〕
大阪帝国大学理学部化学科〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和51年〕,藍綬褒章〔昭和53年〕,レジオン・ド・ヌール勲章(フランス)〔昭和59年〕,台湾体育協進会栄誉章〔昭和59年〕,シャモニー市名誉市民章(スイス)〔昭和59年〕,オリンピック・オーダー賞〔昭和60年〕,勲三等瑞宝章〔昭和61年〕,紺綬褒章〔平成3年〕

経歴
大日日本電線を経て、昭和17年美津濃(現・ミズノ)取締役尼崎工場長となり、22年副社長、44年社長、63年会長に就任。技術系経営者として、カーボンファイバーを野球バット、スキー、テニスラケットにいち早く採用するなど、スポーツ用品の改良、機能向上に貢献。同社を世界最大級のスポーツ用品メーカーに育て上げた。また私財を投じて水野国際スポーツ交流財団を設立、アマチュアスポーツの振興にも尽力IOCからスポーツ産業界では初のオリンピック・オーダー賞を受賞した。全国運動用品商工団体連合会会長など多数の役職も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野健次郎」の解説

水野健次郎 みずの-けんじろう

1913-1999 昭和-平成時代の経営者。
大正2年10月7日生まれ。水野利八次男。父が創立した美津濃(現ミズノ)に昭和17年取締役としてはいり,44年社長,63年会長。世界にさきがけて炭素繊維ゴルフクラブに採用するなど商品開発に力をいれ,海外の営業・生産拠点づくりをすすめ,同社を有数のスポーツ用品メーカーにそだてた。平成11年4月15日死去。85歳。大阪出身。大阪帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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