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後花園天皇 ごはなぞのてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後花園天皇
ごはなぞのてんのう

[生]応永26(1419).6.18. 京都
[没]文明2(1470).12.27. 京都
第 102代の天皇 (在位 1428~64) 。名は彦仁,法名は円満智。初め後文徳院と諡 (おくりな) し,のちに後花園院と改めた。崇光天皇 (北朝) の曾孫にあたる。後崇光院贈天皇すなわち伏見宮貞成親王の第1王子。母は庭田経有の娘,敷政門院源幸子。正長1 (1428) 年幕府の意向で践祚し,翌永享1 (1429) 年即位。寛正5 (1464) 年皇太子成仁親王 (後土御門天皇 ) に譲位して上皇となり,のち出家して法皇となった。将軍足利義政が世を顧みず,奢侈にふけるのを御製の詩で戒めたこともある。応仁の乱には後土御門天皇とともに左大臣二条政嗣の室町第に遷幸し,ここで没した。学問を好み,各種芸能に秀で『御製和歌集』などがある。陵墓は京都市右京区の後山国陵。

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デジタル大辞泉の解説

ごはなぞの‐てんのう〔‐テンワウ〕【後花園天皇】

[1419~1471]第102代天皇。在位、1428~1464。後崇光院伏見宮貞成(さだふさ)親王の王子。名は彦仁(ひこひと)。後小松上皇猶子として践祚(せんそ)、即位した。応仁の乱に苦しむ民を思い、詩を足利義政(あしかがよしまさ)に送ってその奢侈(しゃし)を戒めた話は有名。歌集「後花園院御製」がある。

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百科事典マイペディアの解説

後花園天皇【ごはなぞのてんのう】

室町中期の天皇。在位1428年−1464年。伏見宮貞成(さだふさ)親王の子。諱(いみな)は彦仁(ひこひと)。称光天皇が皇子のないまま没したため,後小松上皇の猶子として践祚(せんそ)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後花園天皇 ごはなぞのてんのう

1419-1471* 室町時代,第102代天皇。在位1428-64。
応永26年6月18日生まれ。伏見宮貞成(ふしみのみや-さだふさ)親王(後崇光院(ごすこういん))の第1王子。母は源幸子(こうし)(敷政門院)。後小松上皇の猶子となり,称光天皇の病死で皇位をつぐ。8代将軍足利義政の時代で,永享の乱,嘉吉(かきつ)の乱,各地の土一揆(どいっき),寛正(かんしょう)の大飢饉(ききん)などがあった。在位37年で皇子の後土御門(ごつちみかど)天皇に譲位し,院政をしく。上皇時代には応仁(おうにん)の乱がおきた。文明2年12月27日死去。52歳。墓所は後山国陵(のちのやまくにのみささぎ)(京都府京北町)。諱(いみな)は彦仁(ひこひと)。法名は円満智。別名に後文徳院。歌集に「後花園院御集」,日記に「後花園院御記」。
【格言など】残民争いて採る首陽の蕨(わらび)処々炉(ろ)を閉じ竹扉(ちくひ)を鎖(とざ)す 詩興の吟は酣(たけなわ)なり春二月 満城の紅緑誰がために肥ゆる(「新撰長禄寛正記」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後花園天皇

没年:文明2.12.27(1471.1.18)
生年:応永26.6.18(1419.7.10)
室町時代の天皇(在位1428~64)。諱は彦仁。伏見宮貞成(後祟光院)の嫡子。母は伏見宮家司右少将庭田経有の娘幸子(敷政門院)。伏見宮家は崇光天皇を祖とし本来皇統を出す家ではなかったが,称光天皇が嗣子なく正長1(1428)年7月に病死したため,急遽将軍足利義教によって嗣立されたのが彦仁である。称光天皇には兄一休宗純がいたが,母が南朝廷臣花山院の出であったこと,禅僧としての経歴が長かったことなどから擁立が見送られたのである。しかし後花園は終世一休に兄事し,自ら一休を皇統の「正嫡」と呼んでいる(『酬恩庵文書』)。嗣立当初天皇は後小松上皇の猶子となりその院政による後見を受けたが,永享5(1433)年後小松の没後は親政を開始した。 治績中最も重要なものは同10年8月の永享の乱勃発による治罰綸旨の発給で,足利義満以後廃絶していた朝敵制度が60年にして復活し,以後天皇の政治的権威は室町幕府の衰退と反比例して上昇していく。嘉吉1(1441)年6月の嘉吉の変に伴う赤松満祐討伐にも治罰綸旨が出され,以後幕府は大小の反乱鎮圧にこの綸旨を奏請,居ながらにして天皇の存在は巨大化していった。寛正2(1461)年の大飢饉のさなか,山荘造営に明け暮れる将軍足利義政に漢詩を贈って諷諫したことはあまりにも有名。同5年7月息後土御門天皇に譲位したが,自ら院政を敷いた。応仁の乱勃発に際しては中立を貫こうとしたが,自ら発給した畠山政長への治罰綸旨が大乱の発端となった事実を恥じて応仁1(1467)年9月ひそかに出家を強行,無責任な将軍義政に対して帝王不徳の責を引いた挙として世人の称賛を浴びた。細川勝元は,上皇の中立的な院宣を西軍討伐の院宣と読みかえて軍勢動員の手段とした。文明2(1470)年末,仮御所室町第泉殿で中風のため病死。和漢の学に通暁し,義満の皇位簒奪未遂以後の皇権を回復した中興の英主として極めて重要な人物。

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごはなぞのてんのう【後花園天皇】

1419‐70(応永26‐文明2)
第102代に数えられる天皇。在位1428‐64年。北朝の崇光天皇の曾孫。父は伏見宮3代貞成親王。諱は彦仁。称光天皇に皇嗣がなく,後小松上皇の猶子として践祚した。学問を好み仁徳も深く,皇子後土御門天皇に教訓状を与えたり,飢饉などで庶民困窮のとき,ぜいたくにふける足利義政に戒めの和歌をおくった話が有名。陵所は京都府北桑田郡京北町にある(後山国陵)。【飯倉 晴武】

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大辞林 第三版の解説

ごはなぞのてんのう【後花園天皇】

1419~1470) 第一〇二代天皇(在位1428~1464)。名は彦仁。伏見宮貞成親王(後崇光院)の第一皇子。称光天皇に嗣子がなかったので、室町幕府が支持して後小松上皇の猶子として践祚せんそ、翌年即位。和歌・管弦をよくし、歌集に「御製和歌集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後花園天皇
ごはなぞのてんのう
(1419―1470)

第102代天皇(在位1428~64)。名は彦仁(ひこひと)。法名円満智。後文徳(ごもんとく)院と称した。後崇光(ごすこう)院貞成(さだなる)親王の第1皇子。実母は庭田経有(にわたつねあり)の女(むすめ)敷政門院(ふせいもんいん)幸子。養母は日野資国(すけくに)の女光範門院資子。室町時代の初め、称光(しょうこう)天皇には後嗣(こうし)がなく、その死によって後光厳(ごこうごん)天皇流の皇統は断絶することになった。そこで父後小松(ごこまつ)上皇の意志により、貞成親王の第1皇子が、上皇の猶子(ゆうし)として迎えられて位についたのが後花園天皇である。そこで血統上、皇位は持明院(じみょういん)統嫡流たる崇光(すこう)天皇流に復帰した。1464年(寛正5)位を皇子後土御門(ごつちみかど)天皇に譲り、67年(応仁1)応仁(おうにん)の乱を憂えて出家、文明(ぶんめい)2年12月27日没。丹波(たんば)後山国(のちのやまぐに)陵に葬る。[村田正志]

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367日誕生日大事典の解説

後花園天皇 (ごはなぞのてんのう)

生年月日:1419年6月18日
室町時代の第102代の天皇
1471年没

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世界大百科事典内の後花園天皇の言及

【足利義教】より

…義教は朝廷にも積極的に介入した。称光天皇が没したあと,男子がなかったため伏見宮貞成親王の子を立てて天皇とした(後花園天皇)が,これは義教のはからいであった。南朝の後胤については極力僧侶にしむけ,または討伐して絶滅を図った。…

【伏見宮】より

…このため親王の即位はついに実現せず,さらに父天皇の没後はそれまで伝領してきた長講堂領以下の持明院統の所領も朝廷に召し上げられたため親王はすこぶる窮境に陥ったが,やがて伏見荘をはじめ若干の所領を回復して一家の存続を維持し,伏見宮創立の基を開いた。親王の後はその子の治仁王,貞成(さだふさ)親王が相承したが,一方後光厳天皇の皇統は後円融天皇,後小松天皇を経て称光天皇に至って絶えたため,貞成親王の王子彦仁王が後小松上皇の猶子に迎えられて皇位につき,後花園天皇となった。この間の事情は貞成親王の著《椿葉記(ちんようき)》に詳しいが,ここに至って皇位は崇光天皇の子孫に帰するとともに,伏見宮の地位は安泰となり,第24代博明王が1947年に皇籍を離脱するまで,およそ550年の長きにわたって相承された。…

※「後花園天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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