日本歴史地名大系 「永原城跡」の解説
永原城跡
ながはらじようあと
旧朝鮮人街道東側、現
永原氏の本姓は藤原氏(補庵京華新集)。一三世紀末には守護六角氏の重臣馬淵氏の被官であった。応永一六年(一四〇九)九月二六日の足利義持御判御教書(尊経閣文庫所蔵)によれば、三宅家村が犯科人永原孫太郎入道・同彦太郎らの跡として拝領したと称する「野洲郡名田畠」が、六角満高・京極高光に起請文を提出した永原正光に返付されている。この野洲郡名田畠がどの地をさすかは不明だが同二六年一一月には正光が願主となって、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報