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永楽保全 えいらく ほぜん

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美術人名辞典の解説

永楽保全

江戸後期の陶工。京都生。沢井宗梅の子、土風炉師の姓は西村善五郎(了全)の養子となり十一代を継ぐ。通称善五郎、陶鈎軒と号する、隠居名は善一郎。紀伊和歌山藩主徳川治宝に招かれて偕楽園焼をはじめ、「永楽」のニ字を授かる。嘉永7年(1854)歿、60才。

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百科事典マイペディアの解説

永楽保全【えいらくほぜん】

江戸時代の陶工。姓は西村,通称善五郎。代々土風炉師だった西村家11世に当たる。京焼をはじめ,交趾(こうち)祥瑞(しょんずい),金襴手(きんらんで)などの中国写しにすぐれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永楽保全 えいらく-ほぜん

1795-1854 江戸時代後期の陶工。
寛政7年生まれ。沢井宗海の子。土風炉師の10代西村善五郎(了全)の養子となり11代をつぐ。紀伊(きい)和歌山藩主徳川治宝(はるとみ)にまねかれて偕楽(かいらく)園焼をはじめ,「永楽」の2字をさずかる。日本だけでなく朝鮮,中国,交趾(コーチ)などの焼き物を自在に模倣する陶技で,茶器・装飾品から日用品までつくった。嘉永(かえい)7年9月18日死去。60歳。京都出身。隠居名は善一郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

永楽保全

没年:安政1.9.18(1854.11.8)
生年:寛政7(1795)
江戸後期の京焼の名工。西村善五郎11代。京都の織屋沢井家に生まれ,13歳ごろに大徳寺大綱和尚の世話で10代西村善五郎了全の養子となる。文政10(1827)年7月,藤原光盈が『荘子』から選した「保全」の名を得る。同年10月,表千家の10代宗左(吸江斎)に伴われ,父了全と共に紀州藩の徳川治宝の別邸西浜御殿の御庭焼偕楽園焼に参加し,「河浜支流」の金印と「永楽」の銀印を拝領した。天保14(1843)年善五郎の名を長子和全に譲り,善一郎と改名,嘉永2(1849)年に鷹司家から「陶鈞」の字をもらい,陶鈞軒とも号した。弘化4(1847)年塗師佐野長寛の次男宗三郎を養子として迎えたころから和全と不和が生じ,陶技開発のための研究が善五郎家の財政を圧迫したことも重なり,嘉永3年江戸に下向し三井家を頼るが翌年帰洛の途中近江の大津に留まり,湖南焼を興す。同5年,高槻藩主永井直輝の御庭焼高槻焼に招かれたが,同年再び湖南焼に戻り,7年には,円満院門跡宮の御用窯を興し,作品には「三井御浜」「長等山」「河浜」といった印を用いている。保全の作風は交趾(法花),青磁,古染付,祥瑞,赤絵,金襴手,仁清写し,高麗写しなど当時賞翫されていた中国,朝鮮,日本のあらゆる陶技におよび,これをすべて自家薬籠中のものとして,単なる模倣をこえ,意匠・釉法ともに時代の好みを反映した新しい茶陶を作り上げた。<参考文献>中ノ堂一信『京都窯芸史』

(伊藤嘉章)

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世界大百科事典 第2版の解説

えいらくほぜん【永楽保全】

1795‐1854(寛政7‐安政1)
江戸後期の京焼陶工。土風炉(どふろ)師(茶席において釜をかける土器の炉をつくる人)10代西村善五郎了全(1769‐1840)の養子。上京の織屋沢井家に生まれ,1817年(文化14)に11代善五郎を襲名した。養父了全は若いとき楽了入に陶技を学び,晩年には安南写しや交趾(こうち)写しを製作した。11代善五郎も土風炉製作から陶磁製作に転じ,27年(文政10)表千家吸江斎,楽旦入,了全らと紀州徳川家に招かれて御浜御殿で製陶し,〈河浜支流〉〈永楽〉の金・銀印を下賜された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

永楽保全
えいらくほぜん

[生]寛政7(1795).京都
[没]嘉永7(1854).9.18. 大津
江戸時代末期の京焼の名工。京都の土風炉 (ふろ) 師西村家の 11代目。通称善五郎。文政 10 (1827) 年,紀州徳川家の招きを受け,偕楽園窯で製陶。このおり「永楽」印を拝領,以後作品にこの印を用いる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

永楽保全
えいらくほぜん
(1795―1854)

江戸後期の京都の陶工。土風炉師(どぶろし)西村家に生まれ、西村善五郎家第11代継承者でもあるが、本格的な作陶に転じて一家をなした。保全は同時期の京都の陶工とは一線を画して独歩し、名家に伝わる古陶磁の名品の模倣から出発した。1827年(文政10)に紀州徳川家の偕楽焼(かいらくやき)へ出仕して陶技を開拓し、中国の染付、金襴手(きんらんで)、赤絵、交趾(こうち)、朝鮮半島の高麗茶碗(こうらいぢゃわん)、ベトナムの安南焼染付、日本では仁清(にんせい)陶など多彩な焼物を好んで写し、どこまでも雅(みや)びで明るい澄みきった茶陶を数多くつくった。その作陶の技量は天保(てんぽう)年間(1830~44)の初め、保全が善五郎家の当主であったころには完成の域に達している。43年(天保14)それまでの善五郎名義を長男の和全(わぜん)に譲ってからは「善一郎」を名のって作陶を続け、このころより意匠や形も円熟の境に入って、彼独自の表現が強くなっていった。しかし陶業は不振で、和全との不和もあって、50年(嘉永3)には江戸に赴き、51年には大津に湖南焼を開き、52年には大坂の高槻(たかつき)窯に招かれるなど、晩年は京都以外での活動が多い。[矢部良明]

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世界大百科事典内の永楽保全の言及

【京焼】より

…木米は文人趣味豊かな煎茶具などで名をなし,亀祐は青磁に,嘉介は五彩磁器に優れ,仁阿弥は典雅な仁清写し,乾山写し,光悦写しなど和様の作品を多く残している。また別系統ながら永楽保全,和全の父子も華やいだ金襴手や交趾釉に腕を振るい,新興町人層の趣向に適応していった。その結果,近世後期の京焼はあらゆる陶技の集積地,名工の輩出地として脚光をあび,各地で興された御庭焼や藩窯の開窯や指導に大きな役割をはたしている。…

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