汐見洋(読み)シオミ ヨウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「汐見洋」の解説

汐見 洋
シオミ ヨウ


職業
俳優

本名
片山 喜三郎

生年月日
明治28年 7月7日

出身地
東京市(東京都)

学歴
慶応義塾大学経済学部中退

経歴
会社勤務のかたわら演劇を勉強し、大正9年研究座を組織、「星飛ぶ夜」で初舞台。13年小山内薫らの築地小劇場創立に参加し、第一回公演から築地の舞台で活躍。その後二つの劇団の組織、解散を経て、昭和9年P.C.L.の準専属となり「さくら音頭・涙の母」に出演、以後映画俳優として数多くの作品に出演した。

没年月日
昭和39年 7月1日 (1964年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「汐見洋」の解説

汐見 洋
シオミ ヨウ

大正・昭和期の俳優



生年
明治28(1895)年7月7日

没年
昭和39(1964)年7月1日

出身地
東京市

本名
片山 喜三郎

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部中退

経歴
会社勤務のかたわら演劇を勉強し、大正9年研究座を組織、「星飛ぶ夜」で初舞台。13年小山内薫らの築地小劇場創立に参加し、第一回公演から築地の舞台で活躍。その後二つの劇団の組織、解散を経て、昭和9年P・C・Lの準専属となり「さくら音頭・涙の母」に出演、以後映画俳優として数多くの作品に出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「汐見洋」の解説

汐見洋 しおみ-よう

1895-1964 大正-昭和時代の俳優。
明治28年7月7日生まれ。大正9年劇団研究座を組織。13年小山内(おさない)薫らの築地小劇場創立に参加。昭和9年「さくら音頭・涙の母」で映画に初出演し,戦後は「美徳のよろめき」など映画で活躍した。昭和39年7月1日死去。68歳。東京出身。慶応義塾中退。本名片山喜三郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の汐見洋の言及

【築地小劇場】より

…〈劇場は付属劇団を持つ〉という原則にのっとり,上記築地小劇場の付属劇団として小山内薫(おさないかおる)と土方与志を中心に,非商業主義と純芸術主義の旗を掲げて同じ1924年に発足した新劇団。新築の築地小劇場を本拠地に小山内,土方,汐見洋(しおみよう),友田恭助,和田精(せい),浅利(あさり)鶴雄が同人となり(1ヵ月後に青山杉作が加わる),第1回公演にはR.ゲーリングの表現主義劇《海戦》ほかを上演,観客に強い衝撃と新鮮な感動を与えた。〈演劇の実験室・新劇の常設館・民衆の芝居小屋〉を合言葉に,5年間に117編におよぶ内外戯曲を実験的・研究的に連続上演して,本格的な新劇運動を展開し,現代の新劇運動の原点となった。…

※「汐見洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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