日本歴史地名大系 「江内村」の解説 江内村えうちむら 鹿児島県:出水郡高尾野町江内村[現在地名]高尾野町江内出水郷荘(しよう)村(現出水市)を挟んで下水流(しもずる)村の北西に位置し、北・北東は海(八代海)に面する。近世は出水郷のうちで、西は同郷西目(にしめ)村(現阿久根市)、南は野田(のだ)郷下名(しもみよう)村(現野田町)。村の西部は笠(かさ)山(三九五・六メートル、西目村とにまたがる)などの山地、南部は平地で一部丘陵がある。南部を江内川が北東に流れ海に注ぐ。西部山地は畑作地帯で、江内川流域に水田が開けている。「鹿児島県地誌」は村内の字地として木牟礼(きのむれ)・小島(こじま)・蓮尺野(れんじやくの)・下り松(さがりまつ)・浦窪(うらんくぼ)・尾(お)ノ島(しま)(尾野島)・野口(のぐち)・塩浜(しおはま)・辺田(へた)・荘潟新田(しようがたしんでん)(庄潟新田)をあげる。南東部、下名村との境に中世の木牟礼城跡がある。 江内村えないむら 岐阜県:海津郡海津町江内村[現在地名]海津町油島(あぶらじま)油島新田の南、揖斐(いび)川左岸に立地。伊勢国桑名郡に属し、金廻(かなまわり)輪中の中にある。元禄一三年(一七〇〇)の伊勢国郷帳(元禄郷帳)に高一六六石余とある。安永四年(一七七五)の高須輪中村高付(原田文書)に古高一六六石余・新高六〇石余とあり、幕府領。天明八年(一七八八)の飢人夫食願書上帳(佐野文書)にも高一六六石余とあり、家数一二・人数六五で、うち飢人数六一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報