江黒村
えぐろむら
[現在地名]明和村上江黒・下江黒
千津井村の北、谷田川右岸に位置。伝えによれば地名は、康平五年(一〇六二)源義家の軍馬江黒が病死、当地宝寿寺に埋めたことに由来するという。「鶏足寺世代血脈」によると、鶏足寺(現栃木県足利市)二九世尊誉は、永和二年(一三七六)「佐貫江黒宝寿寺」で大日経疏を読誦している。宝寿寺は現存し真言宗豊山派。中世は佐貫庄に含まれ、応永四年(一三九七)同庄羽継村(現館林市)大袋の住人弥九郎は、知行所の「江黒郷之内こんとうかはらの御堂かいとの在家」を世良田(現新田郡尾島町)の了清に売渡しており(同年一二月二五日「弥九郎在家売券写」正木文書)、江黒郷近藤原村は同三三年一二月一九日の青柳綱政畠売券写(同文書)ほかにもみえる。
江黒村
えぐろむら
[現在地名]清見村江黒
池本村の北西に位置し、北は吉城郡と境する。北西流してきた小鳥川が南西村境を流れる。元禄飛騨国検地反歩帳の小鳥郷に村名がみえ、高四七石余、田六町五反余・畑五町余。「飛騨国中案内」によれば免は四割四分二厘余、家数一六、うち百姓一五・地借一。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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