日本大百科全書(ニッポニカ) 「池坊専栄」の意味・わかりやすい解説 池坊専栄いけのぼうせんえい(1528―1579) いけ花流派池坊の第30世として活躍したいけ花作家。1549年(天文18)7月15日、将軍足利義輝(あしかがよしてる)に召されて花を立てている。専栄の花伝書は、1545年竹田善四郎に伝授したものを初見として、現在10種類ほどが知られ、相伝範囲は東北から中国地方にまで及ぶ。専栄が「及両年田舎逗留之間(りょうねんにおよびいなかとうりゅうのかん)」に立てたうちの優れた作品は『立花図巻』として残されている。[北條明直]『大井ミノブ・小川栄一著『いけばな史論考――池坊を中心に』(1997・東京堂出版)』[参照項目] | 池坊 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池坊専栄」の解説 池坊専栄 いけのぼう-せんえい ?-? 戦国-織豊時代の華道家。京都頂法寺(六角堂)の僧。天文(てんぶん)18年将軍足利義輝(よしてる)の求めで花をたてる。「池之坊立花伝書」をあらわし,池坊家の相伝方式の確立に寄与。天正(てんしょう)7年(1579)に52歳で死去とも,天正17年に51歳で死去ともいう。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例