六角堂(読み)ロッカクドウ

デジタル大辞泉 「六角堂」の意味・読み・例文・類語

ろっかく‐どう〔ロクカクダウ〕【六角堂】

六角形仏堂

本堂が六角形であるところから》京都市中京区にある頂法寺通称
北茨城市五浦いづら海岸にある堂。岡倉天心が明治38年(1905)に設計したもの。平成23年(2011)の東日本大震災津波に流され消失。翌年再建。

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精選版 日本国語大辞典 「六角堂」の意味・読み・例文・類語

ろっかく‐どうロクカクダウ【六角堂】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 六角形の仏堂。また、六角形の建物。
    1. [初出の実例]「穹堂より一街を挟みて、六角堂あり」(出典:米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉四)
  2. [ 2 ] ( 本堂が六稜形に造られているところから ) 京都市中京区堂之前町にある頂法寺の通称。本堂が六角宝形造りで、一寸八分(約五・五センチメートル)の如意輪観音を本尊とする。中世には、下京の中心をなし、事ある時の集会場となった。
    1. [初出の実例]「六角堂に遣水をなむ作る」(出典:更級日記(1059頃))

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日本歴史地名大系 「六角堂」の解説

六角堂
ろつかくどう

[現在地名]甲南町寺庄

寺庄てらしよう集落の南端、旧そま街道と滋賀県甲賀町隠岐おきへの道の分岐点中央にある地蔵堂。堂の形から六角堂とよばれる。堂は平面が六角形、屋根は二重で桟瓦葺。全体に背の高い建物の印象を受ける。仏壇は北に寄せて作られ、南面に向拝を設け、道の南側から拝するようになっている。屋根の一二個の鬼瓦には一二支を付す。天明八年(一七八八)建造の棟札がある。


六角堂
ろつかくどう

[現在地名]弘前市西茂森町二丁目

西茂森にししげもり町の禅林街にある。長勝ちようしよう寺を主座とする上寺のなかにある。海蔵かいぞう寺の東隣、旧十王じゆうおう堂跡に位置。正式には栄螺さざえ堂といい、実は八角形の堂である。天保一〇年(一八三九)東長ひがしなが町の豪商中田嘉兵衛が、海上安全祈願と天明・天保の飢饉餓死者供養のため、菩提寺京徳きようとく寺に十二支堂、海蔵寺に薬師堂、この六角堂を建立したといわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「六角堂」の意味・わかりやすい解説

六角堂 (ろっかくどう)

京都市中京区にある天台宗の寺。本堂が六角形なので六角堂と通称されるが,正称は紫雲山頂法(ちようほう)寺。西国三十三所観音霊場の第18番札所。寺伝では,平安遷都以前の開創で,聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めて当地に来たとき創建され,本尊如意輪観音は太子七生の守本尊であるという。平安中期,すでに太子信仰と観音の霊験で知られ,貴賤男女の参籠がつづき,洛陽七観音の一つとして栄えた。鎌倉初期,比叡山の堂僧だった青年時代の親鸞が当寺に100日間参籠し,聖徳太子の夢告を得て法然房源空の専修(せんじゆ)念仏門に帰した話は有名である。寺地が下京の中心だった関係上,室町中期からの当寺は〈町堂〉として,町衆の生活文化や自治活動の中心地となる役割も果たした。たとえば都市に流入した貧窮者への粥施行(かゆせぎよう)が門前の仮屋で行われたり,下京に危機が迫ると当寺の早鐘が鳴らされた。また京都に乱入する土一揆を防ぐため出陣する軍勢の集合所となったり,あるいは下京町組代表の集会の場になったりした。当寺は1125年(天治2)の火災以来,幕末までの間に確認できるだけで18回の罹災が知られるが,庶民信仰を集める寺としてそのつど復興された。近世には寺領はわずか1石だったが,観音霊場として,庶民の信仰の寺として栄えた。門前町が発達し,そこには巡礼者のための宿屋が多く建ち並んで,洛中でも有数の旅宿町となっていた。本堂の東に〈へそ石〉と称する礎石がある。寺伝では旧本堂の礎石というが,この異称が生じたのは,当寺が下京の中心だったことによると思われる。現本堂は明治の再建,ほかに太子堂や親鸞堂などがあり,参詣者が絶えない。

 六角堂は寺内塔頭(たつちゆう)の池坊が執行として代々経営管理に当たったが,この池坊は花道家元として名高い。すなわち池坊専慶が東山時代に立花(たてはな)の名手として世に知られ,花道池坊を創始し,ついで天文年間(1532-55)専応(せんおう)が池坊の流れにおける花道を大成して花書を著し,朝廷や幕府や諸門跡に重用された。また江戸前期に出た専好(2世)がこの流を確立し,やがて町人社会にも花道が広まり,江戸中期に入ると池坊住持は家元として池坊花道を率いるようになった。
池坊
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六角堂」の意味・わかりやすい解説

六角堂
ろっかくどう

京都市中京(なかぎょう)区堂前町にある頂法寺(ちょうほうじ)の通称。もと天台宗に属したが、現在は単立寺院。旧名は雲林寺。山号は紫雲(しうん)山。本尊如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)。西国三十三所第18番札所。聖徳太子が四天王寺建立のとき用材を求めてこの地を訪ね、六角の小堂を建て、念持仏の如意輪観音(かんのん)を安置したのに始まると伝える。822年(弘仁13)に嵯峨(さが)天皇の勅願寺となった。しばしば火災にあい、現在の堂宇は1877年(明治10)に再建されたものであるが、本堂は南面の六角形本瓦葺(かわらぶ)きで、古制を伝えている。親鸞(しんらん)は29歳のとき、ここに100日参籠(さんろう)し、聖徳太子(救世菩薩(ぐぜぼさつ)の化身)から夢告を受けて吉水(よしみず)に法然(ほうねん)(源空)を訪ね、その教えを受けて弟子となったという。この寺の執行(しゅぎょう)の住む本坊を「池坊(いけのぼう)」といい、第12世専慶(せんけい)をはじめ多くの立花の名手を出した。第27世専鎮(せんちん)は足利義政(あしかがよしまさ)から花道家元の称号を与えられ、もっとも古い伝統をもつ「池坊」流として名高い。寺宝の木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像は国重要文化財。

[瓜生津隆真]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「六角堂」の解説

六角堂
(通称)
ろっかくどう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
けいせい亥刻鐘
初演
享保13.1(京・佐野川万菊座)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六角堂」の意味・わかりやすい解説

六角堂
ろっかくどう

京都市中京区にある天台宗の寺。聖徳太子の建立になるといわれ,嵯峨天皇の勅願所となった。親鸞がここに参籠し,それを契機に法然に師事したことで有名。

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百科事典マイペディア 「六角堂」の意味・わかりやすい解説

六角堂【ろっかくどう】

頂法寺

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事典・日本の観光資源 「六角堂」の解説

六角堂

(滋賀県甲賀市)
湖国百選 街道編」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の六角堂の言及

【池坊】より

…いけばなの一流派。池坊とは,元来,京都六角堂で知られる頂法寺の坊の名であり,六角堂は室町時代には洛陽七観音の一つとして,貴賤の信仰をあつめた。また霊場として人々が集まりやすく,曲舞(くせまい)のような娯楽の催しもひらかれて,一般庶民に親しまれるところであった。…

【舞子】より

…海に臨んで中国人貿易商が大正初めに建てた洋館(移情閣。通称,六角堂)があり,ここに滞在したことのある孫文にちなんで孫中山記念館が開設されている。公園背後の高台には舞子ビラがある。…

※「六角堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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