沖野 忠雄
オキノ タダオ
明治・大正期の土木技術者 内務省技監。
- 生年
- 嘉永7年1月1日(1854年)
- 没年
- 大正10(1921)年3月26日
- 出生地
- 但馬国城崎郡大磯村(兵庫県豊岡市)
- 別名
- 幼名=松之助
- 学歴〔年〕
- 大学南校,エコール・サントラル土木建築科〔明治12年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治24年〕
- 経歴
- 豊岡藩士の子として生まれる。明治3年東京大学の前身である大学南校に入学してフランス語を学び、8年フランスに留学。土木建築を学び、14年帰国。東京職工学校(現・東京工業大学)で教鞭を執り、16年内務省土木局に入局。以後、土木技師として阿賀野川、信濃川、北上川などの土木巡視長、土木監督署長を歴任。24年第5区土木監督署長となり、淀川水系の改修工事や大阪築港に尽力、中でも淀川水系の改修工事は13年間に及ぶ大工事であり、その後の治水工事の模範とされた。44年内務省技監に就任。大正5年には土木学会会長となるなど、わが国土木界の先駆者として知られる。7年退官。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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沖野忠雄
没年:大正10.3.26(1921)
生年:安政1.1.1(1854.1.29)
明治期の土木技術者。但馬(兵庫県)の武家に生まれる。父春水。東京大学の前身である大学南校に明治3(1870)年に入学したが,明治8年から長くフランスに学び,土木工学を専攻,明治16年に,内務省の土木局に任官し,8年後大阪の土木監督署に赴任したのちは,大阪港の築港工事や淀川の治水工事など,大阪近辺の環境整備を手掛け,功績があった。のち内務省に帰任,技監を務めた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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沖野忠雄 おきの-ただお
1854-1921 明治-大正時代の土木技術者。
嘉永(かえい)7年1月1日生まれ。明治3年大学南校に入学,8年フランスに留学。帰国後,内務省土木局にはいり,24年大阪の土木監督署長。30年大阪市築港事務所工事長をかね,淀川改修工事などを担当,土木界の先駆者として知られる。大正10年3月26日死去。68歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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沖野 忠雄 (おきの ただお)
生年月日:1854年1月1日
明治時代;大正時代の土木学者。工学博士;大阪土木監督署署長
1921年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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