朝日日本歴史人物事典 「河内全節」の解説
河内全節
生年:天保5.8.3(1834.9.5)
明治時代の漢方医,医史学者。越後国高田(上越市)の人。江戸に生まれる。幼名利器。号は柳渓。医を高野高全,また江戸の医学館に学ぶ。明治9(1876)年麹町(千代田区)に開業。同15年には皇女滋宮,のちに増宮,昭宮の尚薬(侍医)を務めた。明治新政府の漢方排斥政策に反して全節や浅田宗伯,今村了庵 らの漢方医が皇室の侍医となったことは,その内科的臨床手腕が当時の西洋医よりすぐれていると判断されたからにほかならない。東京府議も務めた。『日本医道沿革考』(1885),『児科綱要』の著書のほか『中外医事新報』(『日本医史学雑誌』の前身)に多くの医史学的論考を残す。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報