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オーストリアの作曲家。シェーンベルク,ベルクらと並んで第2ウィーン楽派の一人として活躍。鉱山技師の家に生まれ,母からピアノの手ほどきを受ける。1902-06年ウィーン大学で音楽学を専攻,アードラーGuido AdlerのもとでH.イザークに関する論文で学位を取得。1904-08年シェーンベルクに個人的に作曲を学ぶ。1908-17年にはオーストリア各地の劇場で指揮者として生計を立て,18-22年にはシェーンベルクの主宰する〈私的演奏協会〉の一員として多くの現代作品の演奏に携わった。27年オーストリア放送局の指揮者の職を得たが,34年ナチスにより演奏活動を停止される。第2次世界大戦の激化のためミッタージルに疎開したが,終戦の45年,占領軍のアメリカ兵に誤って射殺された。
初期(1908-14)の作品には管弦楽の《パッサカリア》(1908)があり,《五つの歌曲》(1909)で早くも無調音楽を書き始め,《弦楽四重奏のための五つの楽章》(1909)以後ウェーベルン固有の極小形式を確立する。中期(1914-26)は声楽作品のみで,《三つの宗教的民謡》(1924)から十二音技法を用い始める。後期(1927-43)は《交響曲》(1928)で,第2次大戦後の音楽に大きな影響を与えた点描音楽の様式を確立。以後《九つの楽器のための協奏曲》《ピアノ変奏曲》《弦楽四重奏曲》《第1カンタータ》《第2カンタータ》《管弦楽のための変奏曲》など,十二音技法による傑作を書いた。彼の音楽はいずれも10分に満たない小形式が特徴であるが,広い空間に点のようにちりばめられた音(点描手法)は強度の緊張力と多彩な音色に満ちており,抽象的印象主義ともいわれる。その手法は第2次大戦後ブーレーズ,シュトックハウゼンらに多大な影響を与えた。
執筆者:佐野 光司
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オーストリアの作曲家。12月3日ウィーンに生まれる。母からピアノの手ほどきを受け、1899年から作曲を始める。1902年ウィーン大学に入学し、G・アドラーのもとで音楽学を専攻。04年からシェーンベルクの弟子となり、アルバン・ベルクらとともに作曲を学び、師から決定的な影響を受けた。08年以降、各地で指揮者として活躍。ウィーン勤労者交響楽演奏会および同合唱団の指揮者、オーストリア放送局常任指揮者、同局顧問等を歴任。またBBC放送の客演指揮者として数度ロンドンに招かれた。しかし、ナチス政権の台頭によって失職。45年9月15日、疎開先のザルツブルク近郊ミッターシルで、アメリカ軍兵士によって誤って射殺された。
彼は後期ロマン主義の伝統から出発して、しだいに無調音楽に向かい、小編成、小形式による緊張度の高い独自の様式をつくりあげていった。さらにシェーンベルクに続いて十二音技法を採用して複雑精緻(せいち)な諸作品を発表したが、後期には一転して、音の極度な凝縮と節約を原理とする点描的な手法を示し、第二次世界大戦後の前衛音楽に重大な影響を及ぼした。主要作品に管弦楽曲『パッサカリア』(1908)、弦楽四重奏曲『五つの楽章』(1909)、同『六つのバガテル』(1913)、『弦楽四重奏曲』(1938)、『弦楽三重奏曲』(1927)、『交響曲』(1928)、カンタータ『月の光』(1935)、『第一カンタータ』(1939)、『第二カンタータ』(1943)、『管弦楽のための変奏曲』(1940)などがある。
[寺田由美子]
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… 一方,20世紀のウィーン楽派は〈第2ウィーン楽派〉あるいは〈ウィーン無調楽派〉とも呼ばれる。これはシェーンベルクを中心に,彼に師事したベルク,ウェーベルンらによって構成される。表現主義的な語法と明確な理論的主張を特徴とするが,とりわけ無調音楽の書法(1907ころ以降)と音列技法および十二音技法(1920ころ以降)の理論は,後の西洋音楽に大きな影響を与えた。…
…20世紀にはA.シェーンベルクが調性を全面的に否定して無調音楽を書き,それを組織化して12音の音列技法を創始した。弟子のA.ウェーベルンがそれをさらに徹底させたのち,第2次世界大戦後は音高以外の要素もセリー化するセリー音楽が生まれた。一方,ストラビンスキーは原始的なリズムによって激しい衝撃を与え,バルトークなど民俗音楽の要素を採り入れて新しい表現を求めた作曲家もある。…
…こうすることによって,その曲は常に基礎形態の音程関係によって潜在的に支配されることになり,曲に統一性をもたらす。 十二音技法は,弟子のウェーベルンが《三つの民謡詩》(1925)以後採用し,ベルクも弦楽四重奏《抒情組曲》(1926)以後採用した。ウェーベルンは《交響曲》(1928)以後点描的な作風に転じて独自の十二音音楽を確立し,第2次世界大戦後の音楽に絶大な影響を与える。…
… 図3はきわめて緊密な音程関係で構成されており,こうした音列はI10=R1,R10I=O1であるため,音列の総数は24種となる(図2も,O1=R7で24種)。ウェーベルンはこのような関係の音列を好んで用いた。また図1はI6の前半とO1の後半(その逆も)の諸音は同じとなり,シェーンベルクが好んで用いたもの。…
…しかし誤解されていた詩人を評価し直し,埋もれていた作家を発掘するという作業は容易なものではなく,波状的に到来する表現主義ブームに乗って少しずつ進められているが,まだ全貌を把握できる段階に達していない。【神品 芳夫】
[音楽]
音楽上の表現主義は第2次ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルク,ベルク,ウェーベルンを中心としている。その中心はシェーンベルクで,とくに彼はカンディンスキーらの〈ブラウエ・ライター〉に参加していた。…
…ピアノ曲を管弦楽に編曲することも盛んになり,ラベルによる《展覧会の絵》の例は有名である。A.ウェーベルンによるJ.S.バッハの《音楽の捧げもの》から6声部のリチェルカーレの編曲は音色に対する新たな意識を示している。
[ジャズ,ポピュラー音楽における編曲]
ジャズやポピュラー音楽においては編曲者の役割が大きく,ソングライターsongwriterとそれに伴奏や楽器編成をつけるアレンジャーarrangerは独立している。…
…1950年代に,第2次世界大戦後の前衛音楽の一技法として盛んに用いられた作曲技法。〈全面的セリー音楽〉(セリー・アンテグラルsérie intégral(フランス語),total serialism,total organized music)とも呼ばれ,また,この技法で書かれた音楽は〈点描音楽〉〈ポスト・ウェーベルン・スタイル〉とも呼ばれる。1個の音はそれ自身,音高(音の高さ),音価(長さ),音色,音強(強さ)の四つの構成要素から成る。…
…広義には中心音をもたない音楽のことで,シェーンベルク,ウェーベルン,ベルクらの1908‐10年ころの作品から十二音技法による諸作品,同時期以降のスクリャービンのいくつかの作品,またその後今日に至るまでの,特定の中心音をもたない音楽全般を指す。その意味では,シェーンベルクの十二音技法は無調音楽の理論的組織化といえる。…
※「ウェーベルン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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