日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェーベルン」の意味・わかりやすい解説
ウェーベルン
うぇーべるん
Anton (von) Webern
(1883―1945)
オーストリアの作曲家。12月3日ウィーンに生まれる。母からピアノの手ほどきを受け、1899年から作曲を始める。1902年ウィーン大学に入学し、G・アドラーのもとで音楽学を専攻。04年からシェーンベルクの弟子となり、アルバン・ベルクらとともに作曲を学び、師から決定的な影響を受けた。08年以降、各地で指揮者として活躍。ウィーン勤労者交響楽演奏会および同合唱団の指揮者、オーストリア放送局常任指揮者、同局顧問等を歴任。またBBC放送の客演指揮者として数度ロンドンに招かれた。しかし、ナチス政権の台頭によって失職。45年9月15日、疎開先のザルツブルク近郊ミッターシルで、アメリカ軍兵士によって誤って射殺された。
彼は後期ロマン主義の伝統から出発して、しだいに無調音楽に向かい、小編成、小形式による緊張度の高い独自の様式をつくりあげていった。さらにシェーンベルクに続いて十二音技法を採用して複雑精緻(せいち)な諸作品を発表したが、後期には一転して、音の極度な凝縮と節約を原理とする点描的な手法を示し、第二次世界大戦後の前衛音楽に重大な影響を及ぼした。主要作品に管弦楽曲『パッサカリア』(1908)、弦楽四重奏曲『五つの楽章』(1909)、同『六つのバガテル』(1913)、『弦楽四重奏曲』(1938)、『弦楽三重奏曲』(1927)、『交響曲』(1928)、カンタータ『月の光』(1935)、『第一カンタータ』(1939)、『第二カンタータ』(1943)、『管弦楽のための変奏曲』(1940)などがある。
[寺田由美子]