河合 小市
カワイ コイチ
大正・昭和期の楽器製造者 河合楽器製作所創業者。
- 生年
- 明治19(1886)年
- 没年
- 昭和30(1955)年10月9日
- 出身地
- 静岡県浜松市
- 経歴
- 明治33年日本楽器の山葉寅楠と協力して国産ピアノ第1号を製作。大正15年河合楽器製作所を創業、浜松市を楽器の街に押し上げた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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河合小市
かわいこいち
(1886―1955)
楽器製作技術者。江戸時代から続いた浜松の車大工「するがや」の子に生まれる。11歳で山葉(やまは)風琴製造所に入所し、日本初のオルガンを完成させた山葉寅楠(とらくす)とともに、楽器製造技術の開発に力を尽くした。ピアノ国産化における最大の課題であったアクション(打弦機構)を、14歳のとき独学で完成したのをはじめ、楽器産業発展に大きく貢献した。1927年(昭和2)河合楽器研究所(現河合楽器製作所)を創設した。
[佐藤農人]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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河合小市 かわい-こいち
1886-1955 昭和時代の実業家。
明治19年1月5日生まれ。山葉寅楠(とらくす)の山葉風琴製造所(現ヤマハ)で楽器製造の技術開発に従事。14歳のときピアノ国産化の課題だった打弦機構を完成。昭和2年河合楽器研究所(現河合楽器製作所)を設立し,ピアノ,オルガンなどの製造をはじめた。昭和30年10月5日死去。69歳。静岡県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の河合小市の言及
【ピアノ】より
…この方面で貢献した人々にはこのほか,山葉直吉,松本新吉,松本広,福島琢郎,小野ピアノの小野好,そして第2次大戦後に独立工房を開いた大橋幡厳らがいる。また河合小市は1927年に河合楽器研究所(現,河合楽器製作所)を創立してただちにアップライト・ピアノ,グランド・ピアノの製造を開始,同社は現在でもヤマハに次ぐ生産規模を誇っている。大戦末期は製造が中止されたが,戦後すぐに大小の会社が林立し,まもなく戦前をしのぐ活況を呈した。…
※「河合小市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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