日本における洋楽器製造の先駆者的企業家。江戸で紀州藩士の三男として生まれる。明治維新後、長崎で時計の修繕法を学んで、大阪の医療器具店に勤めた。そこの派遣修理店員として浜松に駐在中、アメリカ製オルガンの修理を手がけたことから、その自作を志し、1888年(明治21)日本最初の本格的オルガンの製造に成功。89年に合資会社山葉風琴製造所を設立、それを97年日本楽器製造株式会社(現、ヤマハ)に改組、ピアノやハーモニカの国産化も実現した。高品質の追求をモットーとした事業理念から生み出された「ヤマハ」の製品は、各地の博覧会で入賞するなど好評を博した。
[四宮俊之]
『御手洗清著『遠州偉人伝 第一巻』(1962・浜松民報社)』▽『鶴見正夫著、大塚茂吉絵『美しき旋律のために 「音」に生きた山葉寅楠と河合小市』(1982・PHP研究所)』
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
(沢井実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…日本における近代的楽器製造は,日本楽器製造(現ヤマハ)の創業者山葉寅楠が1887年オルガン製作に成功したことに始まる。日本楽器製造は,ドイツから技術者を招いたり海外に社員を派遣して欧米の技術を吸収,第2次大戦で工場の大半を焼失したが,1960年代に入って,高度成長の波にも乗って急成長し,欧米諸国の楽器産業斜陽化をよそに,世界をリードするまでになっていった。…
…製作の面では,西川虎吉がドイツとアメリカのモデルに倣って1887年ころに作製したものが国産第1号といわれている。続いて山葉寅楠(1851‐1916)が97年に日本楽器製造(株)(現,ヤマハ(株))を設立,アメリカに学んだ翌年の1900年にアップライト・ピアノを,02年にグランド・ピアノの製造・販売を開始した。この方面で貢献した人々にはこのほか,山葉直吉,松本新吉,松本広,福島琢郎,小野ピアノの小野好,そして第2次大戦後に独立工房を開いた大橋幡厳らがいる。…
…1987年,日本楽器製造(株)からヤマハ(株)と改称。 1889年山葉寅楠(1851‐1916)によって設立された合資会社山葉風琴製作所がその前身。97年改組され日本楽器製造(株)となる。…
※「山葉寅楠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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