日本大百科全書(ニッポニカ) 「河套平原」の意味・わかりやすい解説
河套平原
かとうへいげん / ホータオピンユワン
中国北部、黄河(こうが)の上流部の平野。河套とは黄河の屈曲している所という意味で、内モンゴル高原南部において、賀蘭(がらん)山脈とオルドス高原の間を北流してきた黄河が、陰山(いんざん)山脈に当たって東転し、さらに山西の呂梁(ろりょう)山脈に当たって南転する、そのおのおのの屈曲部を中心に形成する平野をいう。下流の屈曲部を前套(ぜんとう)平原(土黙川(トゥムチョン)平原)、上流のものを後套(こうとう)平原と区別し、さらに銀川(ぎんせん)平原をも含めて河套平原と総称することもある。総面積で1万平方キロメートルにも及び、そのなかでもっとも広いのは後套平原で、狭義の河套平原とはこれをさす。いずれの部分も黄河が分流して幅広い沖積平野をつくり、灌漑(かんがい)さえ施せばきわめて肥沃(ひよく)な土地となるところから、「黄河百害、ただ一套を富ます」といわれる。古くは漢民族にとっては塞外(さいがい)(長城外)の地で、漢代には匈奴(きょうど)の根拠地になるなど、北方異民族の有力な放牧地であった。清(しん)代にモンゴルへ漢民族の移住が進み、灌漑農業が開発された。現在は内モンゴル自治区における主要な農業地域となり、都市、交通機関も集中している。とくに前套平原は、北東に区都フフホト、工業都市パオトウを有し、自治区の経済、政治、文化の中心地域である。
[秋山元秀]