河岡村(読み)かわおかむら

日本歴史地名大系 「河岡村」の解説

河岡村
かわおかむら

[現在地名]米子市河岡

一部いちぶ村の東、佐陀さだ川の西岸にある。古くは「こうが」ともいい、川岡とも記される。日野川の分流野本のもと(温水川)村中を北流し、この流路が日野川の古い川筋であったとされる(伯耆志)。ほぼ南北に日野往来が走る。村名については「伯耆志」に西方陣小屋敷じんこやしき永禄(一五五八―七〇)甲賀山城守久具という者が陣を置いた跡かとし、甲賀こうがが訛って音訓の近い河岡となったという説などを記す。永禄二年と推定される一一月二日付の毛利元就書状写(閥閲録)に「河岡表」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む