20世紀日本人名事典 「河本重次郎」の解説 河本 重次郎コウモト ジュウジロウ 明治〜昭和期の眼科学者 東京帝国大学教授。 日本初の眼科学者。 生年安政6年8月16日(1859年) 没年昭和13(1938)年4月4日 出生地但馬国豊岡(兵庫県豊岡市) 学歴〔年〕東京大学医学部〔明治16年〕卒 経歴明治18年文部省留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学で眼科を専攻、日本初の眼科学者となる。23年に帰国後は帝国大学教授となり、同医学部に新設された眼科学講座を担当した。30年には日本眼科学会を設立し、その初代会長に就任。ドイツの医学雑誌に多数の論文を発表したほか、「眼科学」「検眼鏡用法」「全身眼病論」などの著書を刊行するなど、我が国における眼科学の発展に大きく寄与している。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河本重次郎」の解説 河本重次郎 こうもと-じゅうじろう 1859-1938 明治-昭和時代前期の眼科学者。安政6年8月16日生まれ。明治18年ベルリン大に留学。22年帰国し,帝国大学の眼科初代教授となった。日本眼科学会の創立にかかわり初代会長。昭和13年4月4日死去。80歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。東京大学卒。号は光堂。著作に「眼科学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by