河村城跡(読み)かわむらじようあと

日本歴史地名大系 「河村城跡」の解説

河村城跡
かわむらじようあと

[現在地名]山北町山北

酒匂(さかわ)川の左岸、浅間(せんげん)山西の比高約一一〇メートルの城(しろ)山にある。戸張(とばり)城・猫山(ねこやま)城ともいう。急な斜面と入組んだ谷をもつ独立丘を利用して築かれ、遺構の多くは戦国期のもので、伝承では波多野氏の一族河村秀高の築城というが、遺構からみるかぎり平安末期にまでさかのぼるとは思われない。観応三年(一三五二)三月一六日の三富元胤軍忠状写(県史三)に同年三月一五日に当城で合戦があったことが記され、応永二四年(一四一七)一月ならびに一〇月の烟田幹胤軍忠状案(同書)によれば前年一二月にも合戦が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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