河瀬真孝(読み)カワセ マサタカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河瀬真孝」の解説

河瀬 真孝
カワセ マサタカ


肩書
枢密顧問官,駐英公使

旧名・旧姓
旧姓=石川

別名
幼名=小五郎

生年月日
天保11年2月9日(1840年)

出生地
周防国吉敷郡佐山村(山口県)

経歴
萩の明倫館に学び、尊王攘夷運動に参加。文久2年先鋒隊に属し活躍。元治元年御楯隊に加わり、慶応元年高杉晋作の下関挙兵に遊撃隊を率いて参加。翌年、幕長戦に遊撃隊参謀として戦功をたてる。明治3年英国留学を命ぜられ、4年帰国、工部少輔、侍従長を歴任。6年イタリア、オーストリア駐在。10年特命全権公使に昇進。12年帰国し、元老院議官、司法大輔などを経て、17〜26年駐英公使。この間、子爵に叙せられ、ロンドン日本協会会長も務めた。36年枢密顧問官に親任。

没年月日
大正8年9月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「河瀬真孝」の解説

河瀬真孝

没年:大正8.9.29(1919)
生年:天保11.2.9(1840.3.12)
明治期の外交官,枢密顧問官。父は長州藩士石川左衛門淳介。万延1(1860)年藩校明倫館に入り学んだ。慶応1(1865)年遊撃隊を率い高杉晋作の下関挙兵に加担し,広島で幕府の監察使永井尚志と折衝した。翌年の第2次長州征討では芸州口で奮戦した。同3年から明治4(1871)年まで英国に留学,6年伊・オーストリア両国公使に任命されたのち,元老院議官,司法大輔などを経て,17年から26年まで駐英公使を務めた。この間,子爵に叙せられロンドン日本協会会長を務め,夫人英子は在英日本人留学生の援助に尽力している。36年枢密顧問官に転じた。<参考文献>吉田祥朔『近世防長人名辞典増補版』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河瀬真孝」の解説

河瀬真孝 かわせ-まさたか

1840-1919 幕末-大正時代の武士,官僚
天保(てんぽう)11年2月9日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の明倫館にまなび,尊王攘夷(じょうい)をとなえる。慶応2年遊撃隊参謀となり,幕長戦争でたたかった。維新後,元老院議官などをへて司法大輔となる。明治17年特命全権公使としてイギリスにおもむいた。大正8年9月29日死去。80歳。周防(すおう)(山口県)出身。本姓は石川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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