(岡田幸三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
15世紀の初頭から中期にかけて活躍した池坊のいけ花の名手。1525年(大永5)3月5日、青蓮院尊鎮(しょうれんいんそんちん)親王の御所で花会を催したとき、池坊の立花が非常にみごとなところから、「池坊は六角堂の執行(しぎょう)で花の上手(じょうず)なり」と賞賛されたことが『二水記』にみえ、また1530年(享禄3)10月25日、池坊として初めて宮中に召されて花をいけているなど、当時の池坊活躍の中心には、つねに専応があったと考えられている。現在発見される専応の伝書は、東京国立博物館に『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』として所蔵されている大永(たいえい)3年(1523)12月付けのものを最初として、天文(てんぶん)11年(1542)11月付けの『続群書類従(ぞくぐんしょるいじゅう)』に収録された『専応口伝』まで数種の伝書があるが、これは室町時代の花道書の代表的なものとして知られている。とくに冒頭の一節は、とかく技法論に終始しがちな花道書のなかで、当時のいけ花の思想的見解を述べたものとして注目される。いけ花はただ花の美しさを賞するだけのものではなく、自然の姿を現し、宇宙の理(ことわり)を示すものだという形而上(けいじじょう)学的解釈をいけ花に与えている。
[北條明直]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1482~1543
「せんおう」とも。戦国期の立花(たてはな)師。立花を造形芸術にまで高め,池坊が立花界の主流になる契機をつくった。晩年の伝書「池坊専応口伝(くでん)」は歴代に継承され,池坊華道の基本を示すものとして「大巻」の名称で現在も門弟に授けられている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…15世紀の中ごろ,8代将軍足利義政の時代には,同朋衆をはじめ多くの花の名手があらわれたが,池坊の寺僧にも巧みに花を立てるものがあった。1462年(寛正3),池坊専慶が金瓶に草花数十枝をたてたのを《碧山日録》は,〈皆その妙を嘆ずる也〉とつたえ,1525年(大永5),池坊専応は《二水記》のなかで,〈池坊六角堂執行花上手也〉と記されている。16世紀の中ごろは,いわゆる天文口伝書の時代であるが,《池坊専応口伝》や《専栄花伝書》がつたえるとおり,いろいろの立花(たてはな)の系統が池坊のなかにまとまってゆく時期であった。…
…池坊専応によるいけばなの伝書。《専応花伝書》ともいう。…
※「池坊専応」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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