ロッビア(読み)ろっびあ(英語表記)Luca della Robbia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロッビア」の意味・わかりやすい解説

ロッビア
ろっびあ
Luca della Robbia
(1399/1400―1482)

イタリアの彫刻家、陶芸家。フィレンツェの人。1432年同地の彫刻家組合に加盟。彼は釉薬(ゆうやく)を施したテラコッタ創案者としてあまりにも有名で、紺地に白を主調とした人物像を配する独特の構図法で人々を魅了する。そのため、彼が若くして初期ルネサンスのフィレンツェにおける大理石彫刻の主導者の一人であったことが、ややもすれば等閑視されがちである。大理石彫刻でもっとも重要な作品はフィレンツェ大聖堂に設置すべく制作されたカントリア(聖歌壇、1431~38。現同聖堂付属美術館蔵)である。これは、ドナテッロがやはり同聖堂のために制作したカントリア(1433~39)よりも前に完成されたが、両者にみられる障壁浮彫りで表現したプットー(幼児)のモチーフは、古代ローマの石棺から着想されたとみなされている。

 陶芸家としてのロッビアの代表作は、フィレンツェ大聖堂の新旧両聖器室の入口上部に取り付けられているキリストの「復活」「昇天」を主題とした半円形浮彫り、およびパッツィ家礼拝堂の内部を装う聖者福音(ふくいん)書記者たちを表す円形浮彫りである(近年、礼拝堂の浮彫りを設計担当者ブルネレスキに帰する主張も現れている)。またフィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂にある司教ベノッツォ・フェデリギの墓碑彫刻は大理石の横臥(おうが)像で、カントリアの浮彫りと並ぶ彼の傑作である。

 なお、彼の甥(おい)アンドレア(1435―1525)、アンドレアの2人の子ジョバンニ(1469―1529)、ジローラモ(1488―1566)らのロッビア一族も、ルカの創案になる施釉テラコッタで多くの装飾浮彫りを手がけている。

[濱谷勝也]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロッビア」の意味・わかりやすい解説

ロッビア
della Robbia, Luca

[生]1399./1400. フィレンツェ
[没]1482.2.10.
イタリア,フィレンツェ出身の彫刻家。フルネーム Luca di Simone di Marco della Robbia。鋳金家に,またはロレンツォ・ギベルティに学んだといわれる。1431年,ドナテロとともにフィレンツェ大聖堂(→サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)から聖歌隊席(→カントーリア)の制作を委嘱され,1438年に完成。その作風は,ドナテロと同様の深い古典性と写実性を備えながら,より温雅で情緒的な香りに満ちている。これはロッビアの彫刻の重要な特質で,大聖堂鐘塔の五つの六角形メダイヨン内浮彫(1437~39)でも,後年のサンタ・トリニタ聖堂の『ベノツォ・フェデリーギ司教墓碑』(1454~57)でも顕著である。1441年から始めた彩色テラコッタはその清純で温雅な美感の発揮に最高度に適合し,バルジェロ国立美術館の『聖母子像』やウルビノのサン・ドメニコ聖堂の『聖母子像』などの傑作を生んでいる。

ロッビア
della Robbia, Andrea

[生]1435.10.20. フィレンツェ
[没]1525.8.4.
イタリア,フィレンツェ出身の彫刻家。フルネーム Andrea di Marco di Simone della Robbia。ルカ・デラ・ロッビアの甥でまたその弟子であり,やはり彩色テラコッタを得意とした。叔父の作風に最も強い影響を受けており,一族中で叔父に次いで高い才能に恵まれた。その代表作,オスペダーレ・デリ・インノチェンティ正面の各アーチ間内の襁褓(むつき)に包まれた孤児を表した円形メダイヨンでも,叔父から受け継いださわやかな美感がみられる。アンドレア以後,この彩色テラコッタの技法は,息子のジョバンニ(1469~1529)およびジローラモ(1488~1566)らに引き継がれていった。

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