ハーグ(英語表記)Haag

精選版 日本国語大辞典 「ハーグ」の意味・読み・例文・類語

ハーグ

  1. ( Den Haag ) オランダ南西部、南ホラント州の州都。王宮・国会・政府・最高裁判所が所在する、同国の事実上の首都。国際司法裁判所国際仲裁裁判所がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハーグ」の意味・わかりやすい解説

ハーグ
Haag

オランダ,南ホラント州の州都で,オランダでは第3の大都市。人口61万8825(2005)。通称デン・ハーグDen Haagであるが,正式にはス・フラーフェンハーヘ ’s-Gravenhageといい,公文書などではこれが使われている。オランダの議会,政府および最高裁判所の所在地であり,諸外国の大公使館も大部分ここにあるが,首都ではなく,憲法上の首都はアムステルダムである。

 オランダの立法・行政・司法の中心地ということで政府関係の諸機関が市の中心部に軒をつらね,またそれと関係の深いサービス業や商業が市の産業としては大きな比重を占めている。ハーグはオランダの国内政治の中心地として重要であるばかりではなく,国際政治,国際平和の面でも重要な役割を果たしてきている。ハーグ平和会議(1899,1907)やハーグ国際私法会議をはじめとする各種の国際会議が開かれたほか,国際条約も多数ここで締結されている。また国際司法裁判所,常設仲裁裁判所,国際法研究所などの国際機関もあり,これらは1913年にアメリカの大富豪カーネギーによって寄贈された平和宮に入っている。

 ハーグ郊外には軽工業を中心とする工業団地もあるが,市全体はどちらかというと住宅地という性格が強く,第2次世界大戦後は高層住宅が多数造られている。市内には総合病院や医療機関が多く,また中等および高等教育機関も多い。王立図書館,国立公文書館もある。さらにレンブラントの作品を多く所蔵しているマウリッツハイス美術館,いわゆるハーグ派の画家たちの作品を集めた国立博物館,オランダ衣装博物館,郵便博物館,拷問器具博物館など各種の博物館がある。また郊外にはミニチュアの町として観光客の人気を集めているマドゥローダムがある。北海に面したスヘーフェニンゲン地区は海水浴場や保養地として有名であり,ホテルや国際会議場,各種のスポーツ施設やレクリエーション施設が整っている。公園や緑地が市の面積の20%(約1200ha)近くを占めるほどの緑の豊かな都市でもある。現在,議会や諸官庁の建物となっているリッデルザールとビネンホフをはじめとして由緒のある古い建物が多い。財務省の建物の一部は,オルデンバルネフェルトが1612年以降住んでいた邸宅である。マウリッツハイス美術館やアウデ・ホフ(旧城)はアムステルダムの現王宮を設計した有名なヤコプ・ファン・カンペンJacob van Kampen(1595?-1657)の手になるものである。また首相官邸は17世紀の有名な政治家で詩人のヤコプ・カッツの邸宅であったものである。市内最大の聖ヤコプ教会は14世紀末に建てられた後期ゴシック様式の教会である。

 ハーグの正式名ス・フラーフェンハーヘは〈伯爵の館〉という意味であるが,これはホラント伯ウィレム2世が狩猟のときに使っていた館die Hagheに由来するといわれている。彼は13世紀半ばにこの館の近くに一つの城砦(現在のリッデルザール)を築き,さらに子のフロリス5世がこれにビネンホフ(内城),バイテンホフ(外城)を付け加えた。この城砦が1400年ころからス・フラーフェンハーヘと呼ばれるようになった。このように歴史的にはハーグはホラント伯やホラント州総督の居住地として発展してきた。16世紀には国内諸侯の対立に巻き込まれて略奪や火災に遭ったり,疫病の流行などで疲弊したため,総督の居住地をデルフトに奪われそうになった。また独立戦争中には一時ユトレヒトに連邦議会を移そうとする動きもあった。しかし1588年以降は連邦議会およびホラント州議会の開催地として定着した。その後さらに国務院やホラント法院,ホラント・ゼーラント最高法院も置かれ,17世紀にはオランダ共和国の政治・外交の中心地として華やかな時代を迎え,人口も2万人以上に増えた。このようにハーグは総督の居住地として,また政治の中心地として重要であったにもかかわらず,一つの都市としては認められなかったという珍しい歴史をもっている。15世紀末にはすでに都市に近い実体をもつにいたったが,ホラント州議会においては代表権も発言権も認められず,都市としての特権も与えられなかった。市長や市参事会は名目的な存在にすぎなかった。要するに〈総督の居住地〉ということで,厳密な意味での都市とは区別されていた。

 1795年のバタビア共和国の成立とともに州議会および連邦議会(国民議会)に代表権を認められ,1811年にナポレオンによって都市に昇格させられた。オランダ王国になってからは王宮も置かれていたが,1948年以降王宮はユトレヒト郊外のスーストデイクに移っており,ハーグには公式行事用の宮殿があるのみである。第2次世界大戦中,ハーグはドイツ軍のV2ロケットの発射基地となったため,連合軍の攻撃の目標となり,50回以上の空襲をうけ大きな被害を出したが,戦後はいち早く復興し,オランダの中枢都市として発展を続けている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーグ」の意味・わかりやすい解説

ハーグ
はーぐ
The Hague

オランダ南西部、ゾイト・ホラント州の州都で、かつ同国の政府機関が所在する実質上の首都。正式名称はスフラーフェンハーヘ's-Gravenhage。通称はデン・ハーフDen Haagで、その英語名がザ・ハーグ、フランス語名がラ・エLa Haye。日本ではかつて「海牙」と記した。人口44万2356(2001)は、首都アムステルダム、ロッテルダムに次ぎオランダ第3位で、国際的な政治都市として知られる。北海沿岸から約3キロメートルの平地上に位置し、金属、食品、印刷、衣料などの工業も立地するが、政治・住宅都市としての性格が強い。

 市街は、もとホラント伯およびオランダ王室の宮殿であり現在は国会や総理府、外務省などがあるビンネンホーフ(「内庭」の意)を中心に展開する。ビンネンホーフの中庭には国会議事堂となっているリッダーザール(「騎士の館(やかた)」の意)がある。その周辺にはホーフ・ファイファーとよばれる方形の池をはじめ、レンブラント、フェルメールら17世紀オランダ絵画を多数所蔵するマウリッツハイス美術館、商業地区をなすバイテンホーフ(「外庭」の意)など歴史的な建造物、施設が多く、外国公館も集中する。このほか市中央部には、ルネサンス様式の旧市庁舎、後期ゴシック様式の大教会、政治家デ・ウィット兄弟や哲学者スピノザの墓がある新教会などがある。また、中心街に近い中央駅周辺には、王立図書館、国立中央文書館をはじめ中央諸官庁が並び、王宮(ハイス・テン・ボス)を含む森林公園が隣接する。さらに北部の新市街には、アメリカの鉄鋼王カーネギーが1907~1913年に寄贈したことで知られる平和宮が位置する。

 町並み全体は17世紀初期に建設された広い街路と運河によって規則的に区画され、閑静な邸宅街と広大な公園、森林が多い住宅都市となっている。北部郊外には、オランダ諸都市の代表的建造物を25分の1の縮尺で再現したミニチュア都市マドゥローダム、また北海沿岸には、ニシン漁港および海水浴場、保養地として有名なスヘーフェニンゲン地区があり、観光・保養都市としての側面も有する。

[栗原福也・長谷川孝治]

歴史

正称スフラーフェンハーヘは「伯爵の生け垣(領地)」の意で、その名が示すように、ホラント伯の狩猟地であった。この地に1248年ホラント伯ウィレム2世Willem Ⅱ(在位1234~1256)が城館リッダーザールを築き、さらにフロリス5世によってその周囲にビンネンホーフ、バイテンホーフが付け加えられ、ホラント伯の居城になった。これが町の起源で、城館を核に13~14世紀に商業地区が形成された。ブルゴーニュ時代(1436~1482)、ハプスブルク時代(1482~1555)にはホラント州総督の居館になり、オランダ連邦共和国時代(1588~1795)には連邦議会およびホラント州議会の開催地、オラニエ家歴代総督の居住地となった。1795年までは連邦共和国の、1815~1830年はブリュッセル(現、ベルギー)と交替でネーデルラント王国の、それぞれ首都とされた。共和国時代から、ハーグは経済・文化の面でアムステルダムに遠く及ばなかったが、政治・外交の舞台として栄え、人口も2万を超えた。しかし共和国時代のハーグは他都市と異なり、都市特権を与えられたことはなく、州議会への代表も認められなかった。自治権が認められたのはようやく1830年になってからである。同年に憲法上の首都がアムステルダムに移ったが、ウィレム2世(在位1840~1849)治下の19世紀中葉に市街は拡大し、また1948年までオランダ王宮が置かれていた。17世紀以降、重要な国際会議の舞台となり、とりわけ1899年と1907年の2回のハーグ平和会議、1893年以来開催されてきたハーグ国際私法会議が有名。その結果1899年に国際仲裁裁判所、1922年に常設の国際司法裁判所(ICJ)が設置され、国際的都市としての地位が確立した。同裁判所では、1995年核兵器の使用が国際法に違反するかどうかを問う審理が行われた。日本からも反核団体など多数が傍聴、また広島・長崎市長が証言した。1997年5月には、化学兵器禁止条約の本部もハーグに設置され、査察業務などに携わっている。

[栗原福也・長谷川孝治]


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百科事典マイペディア 「ハーグ」の意味・わかりやすい解説

ハーグ

オランダ語では通称デン・ハーグDen Haag,正式名称ス・フラーフェンハーヘ('s Gravenhage)。オランダ西部,北海岸にある都市。王宮,国会,政府諸機関,外国公館などがあってオランダの事実上の首都(法的な首都はアムステルダム)。平和宮内に国際司法裁判所もある。工業は金属,印刷など。1899年,1907年ハーグ平和会議が開かれた。ホラント伯の所領で,13世紀に城が築かれ,16世紀後半にオランダ共和国の議会所在地となった。第2次大戦中はドイツ軍のV2ロケット発射基地となったため連合軍に攻撃され,大被害を受けた。49万5083人(2011)。
→関連項目オランダデルフト

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーグ」の意味・わかりやすい解説

ハーグ
Den Haag

オランダ西部にある同国行政府および議会の所在地,ゾイトホラント州の州都。正式名称はスフラーフェンハーヘ's-Gravenhage,デンハーフともいう。首都アムステルダムの南西約 50km,北海から約 6km離れた平野部に位置する。ホラント伯ウィレム2世が 1248年城館を築いたのに始まり,以後ホラント伯領の主要な都市として発展。 16世紀末オランダ共和国が成立すると,マウリッツにより議会所在地とされ,以後政治の中心地として栄えた。 1899年と 1907年国際平和会議が開かれたところで,平和宮 (1907~13) には国際司法裁判所がある。衣料,化学,印刷などの工業も行なわれるが,国際商業都市,住宅都市,政治都市の色彩が強い。ウィレム2世の城館に始まるビンネンホフが市の中心で,外国公館が並び,囚人の門 (1400頃) が現存。リデルザール (国会議事堂,13世紀) ,マウリッツハイス美術館 (1633~44) ,王立図書館,大聖堂 (15~16世紀) ,王立劇場など古い歴史をもつ建物が多い。人口 46万 3841 (2003推計) ,大都市圏 69万 2581 (1992推計) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハーグ」の解説

ハーグ
Den Haag/'s-Gravenhage[オランダ],The Hague[英]

オランダの南ホラント州の州都。原語「伯爵の館」が示すように,もとはホラント伯の狩猟用の館が置かれていたが,オランダ独立戦争の過程で連邦議会,ホラント州議会が置かれ,政府機関も常設され,オランダの首都と目されるようになった。1815年首都はアムステルダムに定められたが,王宮,政府機関,最高裁判所がここに置かれ,また国際政治においても2度の平和会議が開催され,国際司法裁判所などの国際機関が置かれている。第二次世界大戦中はドイツ軍によって占領され,多大の被害を受けた。

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世界大百科事典(旧版)内のハーグの言及

【マドゥローダム】より

…オランダのハーグ郊外にあるミニチュア都市で観光名所の一つ。オランダの典型的な都市と田園風景を,歴史的考証のもとに実物の25分の1に縮小して再現している。…

※「ハーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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