20世紀日本人名事典 「河野鉄南」の解説 河野 鉄南コウノ テツナン 明治〜昭和期の歌人 生年明治7年1月16日(1874年) 没年昭和15(1940)年11月26日 出生地大阪府堺市 本名河野 通該 経歴浄土真宗覚応寺19代目の住職で、与謝野鉄幹とは竹馬の友。晶子と同郷の出身で、のち鉄幹に晶子を紹介した。明治33年1月から11月まで29通の晶子からの書簡は、晶子研究の重要な資料となっている。著書はないが、「よしあし草」や初期の「明星」に歌を発表し、関西の新派歌人として注目された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野鉄南」の解説 河野鉄南 こうの-てつなん 1874-1940 明治-昭和時代前期の歌人。明治7年1月16日生まれ。堺市の浄土真宗本願寺派覚応寺住職。幼友達の与謝野(よさの)鉄幹に同郷の鳳(ほう)晶子(のちの与謝野晶子)を紹介した。「よしあし草」や初期「明星」に歌を発表,新派歌人として注目された。昭和15年11月26日死去。67歳。本名は通該。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by