改訂新版 世界大百科事典 「河陽宮」の意味・わかりやすい解説
河陽宮 (かやのみや)
嵯峨天皇によって営まれた離宮。河陽とは河の北の意で,淀川の北,山城国(京都府)山崎の地にあり,現在の離宮八幡宮の地に当たる。淀川に接し,門前の道が山崎橋に至る風光明媚な地であった。天皇が摂津水無瀬(みなせ),河内交野(かたの)(ともに大阪府)に遊猟のときの山荘として営んだもので,814年(弘仁5)2月,交野に遊猟した際立ち寄ったのが初見。《文華秀麗集》には嵯峨天皇の〈河陽十詠〉やそれに和した廷臣らの漢詩が収められている。その後は行幸もとだえ,破壊にゆだねられる状態であったので,861年(貞観3)に至り,山城国の申請により国府の建物とされた。ただし宮名は存続することとし,行幸があれば掃除して使用するものとされた。10世紀の初頭までは5間瓦葺きの殿舎,6間殿,10間屋,3間楼各1宇があったが,908年(延喜8)に至り,全面的に山城国に下付され,離宮としては事実上消滅した。
執筆者:村井 康彦
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