日本歴史地名大系 「沼久保村」の解説 沼久保村ぬまくぼむら 静岡県:富士宮市沼久保村[現在地名]富士宮市沼久保星山(ほしやま)村の西、野中(のなか)村の南、富士川中流左岸の平地および丘陵に立地する。中世は沼窪と記される。地内字水沼(みずぬま)も中世からみえる。天文一八年(一五四九)一二月一三日の今川義元判物(浅川井出文書)によれば富士浅間社(富士山本宮浅間大社)領である「水沼」の代官職ほかが井出善三郎に安堵されている。永禄四年(一五六一)軍役のため借銭・借米が超過して進退きわまった井出善三郎は、千熊と井出惣左衛門尉盛重の娘伊勢千代に水沼代官分以下の知行権を渡したうえで、千熊を伊勢千代の婿とすることによりこれら所領の維持を図った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by