法勝寺城跡(読み)ほつしようじじようあと

日本歴史地名大系 「法勝寺城跡」の解説

法勝寺城跡
ほつしようじじようあと

[現在地名]西伯町鴨部

鴨部(かもべ)集落の北方、同集落と法勝寺川を隔てた丘陵先端にある戦国時代の城跡。尾崎(おざき)城ともいう。山城で、因伯古城跡図志(県立博物館蔵)によると比高は約三六メートル。法勝寺川に臨み、北東を大手とし、山頂は長さ五四メートル・横二七メートルの平地で、やや下って一八メートル四方、さらに二七メートル四方の平地があるとする。周辺に土塁・空濠が確認でき、戸構(とがまえ)などの地名も残る。伯耆西部出雲国境にあって、北から飯山(いいやま)・橋本(はしもと)・新山(にいやま)(現米子市)・柏尾(かしお)・伐株(きりくい)の各城と連なる戦略上の拠点にあたり、かつ法勝寺往来(備後街道)、同往来枝道の金山(かなやま)越(作州街道)および出雲方面に通ずる山田(やまだ)谷の道などが交差する地を占めていることからもその重要性がうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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