法勝寺(読み)ホッショウジ

デジタル大辞泉 「法勝寺」の意味・読み・例文・類語

ほっしょう‐じ【法勝寺】

京都市左京区にあった寺。六勝寺ろくしょうじの一。承暦元年(1077)白河天皇勅願創建金堂経蔵・鐘蔵・講堂・薬師堂・常行堂阿弥陀堂などの大伽藍があり、六勝寺最大の寺であったが、鎌倉時代以後衰退、天正18年(1590)比叡山坂本の西教寺に併合された。

ほうしょう‐じ〔ホフシヨウ‐〕【法勝寺】

ほっしょうじ(法勝寺)

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精選版 日本国語大辞典 「法勝寺」の意味・読み・例文・類語

ほっしょう‐じ【法勝寺】

  1. 京都市左京区岡崎にあった寺。六勝寺の一つ。承暦元年(一〇七七)白河天皇の勅願によって創立された顕・密・浄・禅兼学の大伽藍で、初め大毘盧舎那寺といった。元暦二年(一一八五大地震で大半が倒壊し、たびたびの火災で焼失。のち一部再建されたが衰退・廃絶した。

ほうしょう‐じホフショウ‥【法勝寺】

  1. ほっしょうじ(法勝寺)

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日本歴史地名大系 「法勝寺」の解説

法勝寺
ほつしようじ

[現在地名]佐賀市嘉瀬町大字中原字嘉瀬津

旧長崎街道の北に位置する。臨済宗南禅寺派の寺院で山号は石宝山、本尊は聖観世音菩薩。江戸時代水上の万寿みずかみのまんじゆ寺(現佐賀郡大和やまと町)の末寺とされていた。開山は俊寛円光、開基は源頼朝という伝をもつ。後世の作であるが俊寛の墓碑が残る。


法勝寺
ほつしようじ

蔵本くらもと地区にあった中世の寺院。詳細な所在地や沿革などは不明。現神山かみやま勧善かんぜん寺所蔵の大般若経のうち、至徳四年(一三八七)九月二一日書写の巻二二二の奥書、嘉慶二年(一三八八)一月二〇日書写の巻二二六奥書にそれぞれ「下倉本法勝寺」とみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法勝寺」の意味・わかりやすい解説

法勝寺(廃寺)
ほっしょうじ

廃寺。平安末期に皇室御願寺(ごがんじ)として京都東山岡崎付近に建立された六勝寺(ろくしょうじ)(「勝」の字のつく六つの寺院の総称)の最初にして最大の寺。1077年(承暦1)白河(しらかわ)天皇の御願で建てられ、顕・密・浄・禅の各宗の要素を総合した大伽藍(がらん)であった。のちたびたび火災にあい、そのつど復興されたものの、応仁(おうにん)の乱ののちはついに再興の企てなく、1590年(天正18)比叡山(ひえいざん)坂本の西教寺(さいきょうじ)に併合された。

[平井俊榮]


法勝寺(鳥取県)
ほっしょうじ

鳥取県西部、西伯(さいはく)郡南部町の一地区。旧法勝寺村。旧出雲(いずも)往来宿場町。古窯法勝寺焼や、隣接する馬場(ばば)には県の天然記念物長田(ながた)神社社叢(しゃそう)がある。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「法勝寺」の意味・わかりやすい解説

法勝寺【ほっしょうじ】

平安末期,京都白河に建立された六勝寺(ろくしょうじ)中最初で最大の寺。白河天皇の御願寺で,1077年金堂などの落慶供養が行われ,のち塔以下の諸堂が造立。1342年火災にあい,以後次第に衰え,やがて廃絶。京都市左京区に遺跡がある。
→関連項目雀岐荘俊寛白河天皇

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法勝寺」の意味・わかりやすい解説

法勝寺
ほっしょうじ

京都市左京区岡崎にあった白河天皇の勅願寺。承暦1 (1077) 年建立。同時代に勝の字のある勅願寺が6ヵ寺建立されたので,法勝寺をその筆頭として六勝寺と総称された。一時は大いに栄えたが,嘉暦3 (1328) 年と興国3=康永1 (42) 年の火災にあって,以後廃寺となった。現在は遺跡のみが残っている。

法勝寺
ほっしょうじ

鳥取県西部,南部町西伯地区の中心集落。旧村名。 1955年近隣4村と合体して西伯町,さらに 2004年に会見町と合体して南部町となる。江戸時代は宿場町。かつてたたら製鉄が盛んであった。民俗行事として日用品で飾り物をつくる「一式飾り」,伝統陶芸の「法勝寺焼」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「法勝寺」の意味・わかりやすい解説

法勝寺 (ほっしょうじ)

六勝寺(りくしょうじ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「法勝寺」の解説

法勝寺
ほっしょうじ

平安末期,白河天皇の発願により京都市東山区岡崎付近に建てられた六勝寺の一つ。

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世界大百科事典(旧版)内の法勝寺の言及

【阿弥陀堂】より

…求心堂平面をもつ堂は平安前期に円仁によって建立された比叡山の常行(じようぎよう)三昧堂のように中心に仏壇をおき,周囲1間通りに行道できる庇(ひさし)をめぐらし,さらに孫庇をめぐらした方五間堂の省略形から発展したとも考えられる。その左右に翼廊を付し,前面に苑池を設けた形は1053年(天喜1)に藤原頼通が造営した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)で,白河天皇の法勝寺(1077)や藤原基衡の平泉毛越(もうつ)寺(1150ころ)なども浄土になぞらえて,苑池に面する伽藍とされた。小型の方三間堂(阿弥陀堂)は全国各地に設けられ,京都法界寺阿弥陀堂は方5間に裳階(もこし)を付した発展形式をもつ。…

【西伯[町]】より

…人口8366(1995)。日野川支流の法勝寺(ほつしようじ)川上・中流域に位置する。中心集落の法勝寺は江戸時代には米子と山陽,上方を結ぶ街道の宿場町で,付近で生産される砂鉄の集散地としてにぎわった。…

【平安時代美術】より

…(3)後期 中期の藤原摂関家に代わって後期には白河,鳥羽,後白河の3院が豊富な財力を造寺・造仏事業に注いだ。1077年(承暦1)に供養された鴨川東の白河法勝(ほつしよう)寺は白河天皇が創建し,道長の法成寺をしのぐ壮大な伽藍であった。金堂は左右に回廊を付属し鳳凰堂に似た構成をそなえ,南の大池に浮かぶ中島には八角九重塔がそびえ,西岸に九体阿弥陀堂,金堂背面に講堂,五大堂,七仏薬師堂などが群立していた。…

【六勝寺】より

…〈りくしょうじ〉ともいう。法勝(ほつしよう)寺,尊勝寺,最勝寺,円勝寺,成勝(じようしよう)寺,延勝寺の6寺。1075年(承保2)白河天皇の発願で法勝寺の造営が開始されて以後,1149年(久安5)延勝寺が落成するまで,白河親政・同院政・鳥羽院政期に,白河,堀河,鳥羽,崇徳(すとく),近衛の5天皇と鳥羽中宮待賢門院藤原璋子の6人の発願によって建立された。…

※「法勝寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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