日本歴史地名大系 「法華寺跡」の解説
法華寺跡
ほつけじあと
性空の開基と伝え、性空は播磨書写山円教寺の開山であるが、寛弘四年(一〇〇七)当寺で没したと伝える(南路志)。かつては七堂伽藍を備えた大寺で、天正一七年(一五八九)の佐川郷谷地永野地検帳に法華寺領「大坊寺中」に三間四面の金堂と張道二王堂が記され、塔頭と思われる中ノ坊・リヤウホン坊・下ノ坊・ホントウ坊・西ノ坊・蓮花坊がみえるが、うち中ノ坊・リヤウホン坊・ホントウ坊は田畠化し、寺領があるのは本寺の大坊と西ノ坊・蓮花坊にすぎない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報