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法道寺善 ほうどうじ ぜん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

法道寺善 ほうどうじ-ぜん

1820-1868 幕末の和算家。
文政3年生まれ。広島で梅園直雨(立介)に,江戸で内田五観(いつみ)の塾にまなぶ。のち全国を遊歴しておしえた。独自の算変法を創始し「観新考算変」の稿本をのこした。明治元年9月16日死去。49歳。安芸(あき)(広島県)出身。字(あざな)は通達。通称は和十郎。号は観山。名は「よし」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

法道寺善

没年:明治1.9.16(1868.10.31)
生年:文政3(1820)
幕末明治期の和算家。通称和十郎,字は通達,観山と号す。広島の人。梅園立介に学び,のち江戸に出て内田五観の門に入り,瑪得瑪弟加塾で6年間研鑽,その後諸国を遍歴,子弟を教育した。有名な『観新考算変』(1862)は43歳ごろの著述であるが,ここには現在の反転法といわれるものと同じ考え方が示されている。写像という考えを持っていたかどうか不明だが,結果的には高級な写像を扱っていた。題名は観山が新たに考えた算法という意味であろう。

(道脇義正)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうどうじぜん【法道寺善】

1820‐68(文政3‐明治1)
幕末の数学者。算変法の創始者として名高い。通称和十郎,字は通達,観山と号した。初め広島で梅園立介に数学を学び,後に江戸へ出て内田五観の塾でさらに数学を学ぶ。内田の塾を出て,日本全国を遊歴し,各地で数学を教授した。著書は多いが,刊行された書はない。その当時,円の中に多数の円を互いに内外接させる問題が流行した。解決法の手段として,共通接線を使ってきれいな公式にまとめたのが安島直円で,この安島の方法を,今日の反転法に相当する方法を適用して,簡単に計算できるようにしたのが法道寺の算変法である。

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世界大百科事典内の法道寺善の言及

【和算】より

…内田は高野長英に蘭学を学んでおり,塾の名はそこからきている。弟子には剣持章行(1790‐1871),法道寺善(ほうどうじぜん)(1820‐68),川北朝鄰(1840‐1919),その他多数の数学者がいた。法道寺は観山と号し,その観山が新しく見つけた方法であるとして,《観新考算変(かんしんこうさんぺん)》を各地に書き残している。…

※「法道寺善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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