泡瀬島(読み)あーしじま

日本歴史地名大系 「泡瀬島」の解説

泡瀬島
あーしじま

[現在地名]沖縄市泡瀬あわせ一―六丁目・泡瀬

高原たきばる村の東、中城なかぐすく湾に突き出た半島にある。正保国絵図には「あせ嶋」と記され、隔海の無人島として描かれている。いわゆる砂洲島から発達した地域。美里んざとう間切に属する屋取集落で、一九〇三年(明治三六年)に高原村から分離し、泡瀬村となった。村内にはビジュル・なーか御嶽あがり之御嶽などの拝所がある。尚王二年(一八〇五)三月五日の大風雨で泡瀬の人家のうち方三間以下の大小各一九軒が倒壊。同二二年八月一四日の暴風では泡瀬地方の海水面が上昇し、一二名が溺死している(球陽)琉歌では「あにある泡瀬村行くなやうと言ちも 花の本だいもの行かなおきゆめ(あんな泡瀬村に行くなと言っても美しい娘がいる花の本ですもの、行かずにおれようか)」と謡われる(琉歌全集)

一八八〇年の県統計概表では「泡瀬島」と記され、戸数三五六・人数二千三二。一九〇三年には士族の戸数三六九・人数二千七八一、平民の戸数三二・人数二三一、民有地総反別は一二四町四反余、うち田六反余・畑六六町七反余・宅地九町余・塩田二九町六反余・原野一八町一反余・池沼雑種地一反余(県統計書)製塩と樽皮(黒糖を入れる容器)の産地として県下に名をはせ、山原やんばるや遠くは奄美大島辺りからも樽皮材料の榑板や帯竹、薪炭を積んだ山原船が出入りした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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