波加利庄(読み)はかりのしよう

日本歴史地名大系 「波加利庄」の解説

波加利庄
はかりのしよう

現在の大月市西部にあった庄園。波賀利とも書く。建保元年(一二一三)五月二日、鎌倉で起こった和田義盛の乱に荷担して敗れた古郡保忠兄弟は、和田常盛・横山時兼らとともに甲斐へ逃れてきて「波加利之東競石郷二木」で自殺した(「吾妻鏡」同月四日条)。古郡氏は武蔵七党の一つ横山党の分れで、甲斐国古郡ふるごおり郷を本拠とし、氏姓に称したものとみられる。古郡氏の甲斐入部時期は不明だが、建仁二年(一二〇二)には保忠の甲斐・鎌倉往復記事があり(同書同年八月一五日条)、少なくとも鎌倉時代初期からの在住が確認できる。乱後の論功行賞で波加利本庄は武田冠者(信光)に、同新庄が島津左衛門尉(忠久)に与えられているのは(同書建保元年五月七日条)、当庄が古郡氏の旧領だったからであり、また当時すでに本庄・新庄に分れていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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