波賀部神社(読み)はかべじんじや

日本歴史地名大系 「波賀部神社」の解説

波賀部神社
はかべじんじや

[現在地名]松山市高井町 樋口

樋口ひのくちに造営された壮大な古墳(大塚、俗に墓辺山という)の上に鎮座する。祭神雷神・大山積神・高神。旧村社。檜皮葺本殿(天保四年再建)瓦葺の中殿(貞享元年再建)拝殿(享保一三年再建)などがあり、貞享元年(一六八四)、享保一三年(一七二八)、文政八年(一八二五)、天保四年(一八三三)建造の棟札が保存されている。

社伝によると、嵯峨天皇の皇子源寛が伊予国司となってこの地の浮穴うけな館にいたが、死後その霊を奉祀したのに始まるという。寛が貞観一二年(八七〇)伊予守となったのは事実であるが(三代実録)、彼が伊予に赴任・在国した徴証がないので、遥任と解するのが妥当であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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