泥原新保浦(読み)どろはらしんぼうら

日本歴史地名大系 「泥原新保浦」の解説

泥原新保浦
どろはらしんぼうら

[現在地名]三国町新保しんぼ

九頭竜くずりゆう川河口近くの左岸に位置し、対岸には三国湊があり、三国湊と並んで河口港として古くから栄えた。「越前国名蹟考」には「川湊にて大船繋間自由有之、南風之時船入難成、水戸口北方岩有之、遠浅、水底岩有之」とあり、また三国湊と当浦の間に木場きば渡とよばれて馬船の往来のあったことも記される。

中世は、奈良興福寺領坪江つぼえしも郷に属して「阿古江」とよばれた(「大乗院寺社雑事記」文明一二年八月三日条の挿図)。室町時代中期以前の記録である「坪江下郷三国湊年貢夫役等事」(大乗院文書)には「阿古江」の年貢・夫役に関する記載がある。また同記録によれば、「阿古江」には荘官の一種と考えられる番頭がおり、本田一一町一反大があった。

慶長期(一五九六―一六一五)になると「阿古江新保」(慶長七年の「阿古江新保記録」三国町郷土資料館蔵)、泥原新保(慶長一一年頃の越前国絵図)などと称するようになった。前掲阿古江新保記録によれば総石高四六一・六石、総田畑面積一九町七反、家数六一四、人数二千七三七(男一千四二七・女一千三一〇)で、商船一二〇艘(北国船千石以上)、同商船七二艘(はかせ船千石以下)、浜漁船一一艘(ただし綱戸屋一一軒、一人一艘持)、小漁船四九艘(ただし四九軒、一軒一艘)をもち、漁役銀一一〇匁八分、海役銀一二三匁を納めていた(上記の商船数などについては疑義もあり)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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