泥堂町(読み)でいどうちよう

日本歴史地名大系 「泥堂町」の解説

泥堂町
でいどうちよう

[現在地名]平野区平野上ひらのうえ町二丁目・平野宮ひらのみや町一丁目など

平野郷ひらのごう町を構成した七町四散郷の一町。西脇にしわき町の北にあり、北西部泥堂口から奈良街道が入る。寛政九年(一七九七)の高は四一七石余、古軒役は四四軒(「雑記」土橋家文書)。宝永三年(一七〇六)の竈数二八九・人数一千四二、享保一七年(一七三二)の竈数三〇八・家数二〇八・人数一千一四三、天保七年(一八三六)には竈数一六三・人数七四四(各年「覚帳」杭全神社蔵、ただし寺社・坂上家関係のぞく)。宝暦一三年(一七六三)の摂州平野大絵図では泥堂口の南方に真宗大谷派慧光えこう寺、北部の社内入口の北、平野川との間に平野郷町の産土神杭全くまた神社が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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