洗川
あらいかわ
荒井川とも書かれ、場所によって米田川・今市川・魚崎川ともよばれた(岸本家文書・船津家文書)。一七世紀前期までは加古川本流の下流部であった。この頃加古川は升田村(現加古川市)の上流で二筋に分れて流れていた。一筋は慶長年間(一五九六―一六一五)池田輝政によって高砂まで付替えられた高砂川(現加古川)で、一筋は砂部村(現加古川市)と船頭村(現同上)の間を南西方向に流れる洗川であった(加古川市史)。正保国絵図(内閣文庫蔵)によると、洗川は「西加古川」と記され、上流は池尻村(現加古川市)の南で分岐して升田村と升田新村(現同上)の間を流れ、砂部村の東を南下し、米田新村・古新村と平津村(現加古川市)・米田村の間を流れ米田村の南で二筋に分れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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