日本歴史地名大系 「津吉村」の解説 津吉村つよしむら 長崎県:平戸市津吉村[現在地名]平戸市津吉町・前津吉町(まえづよしちよう)・田代町(たしろちよう)・神(こう)ノ川町(かわちよう)・神上町(かみあげちよう)古田(こた)村の南東に位置し、古田川が流れる。東部に白岳(しらたけ)峠・弥次(やじ)山があり、南部の神上(もとの川尻免)は景行天皇が登ったことに由来するという所伝がある。南東部は海に臨む。中世は宇野(うの)御厨のうちとして津吉島などとみえる。弘安六年(一二八三)頃に松浦氏と争った西氏のものという墳墓などの遺跡がある。応仁年間(一四六七―六九)当地の地頭辻安岐守源信によって長泉(ちようせん)寺の禅堂が建立されたという(津吉村郷土史)。江戸時代初め大津吉村と称し、のち前津吉村と称したという。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に津吉村とみえ、高二千六二六石余。慶長国絵図でも同様。 津吉村つよしむら 愛媛県:松山市重信川南岸地域(旧下浮穴郡の一部)津吉村[現在地名]松山市津吉町(つよしまち)松山平野の東南平坦部に位置する農村。東は上(うえ)村(現温泉郡重信町)、西は東方(ひがしがた)村、南は窪野(くぼの)村、北は中野(なかの)村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の浮穴(うけな)郡の項に「津吉村 日損所、林柴山有、小川有」とある。初め徳川(とくがわ)村といったが、徳川家をはばかって津吉と改称したという(新編温泉郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by