津奈木城跡(読み)つなぎじようあと

日本歴史地名大系 「津奈木城跡」の解説

津奈木城跡
つなぎじようあと

[現在地名]津奈木町岩城 大手

津奈木町の中心部、津奈木川とその支流千代ちよ川に挟まれたじよう山に築かれた中世の山城、別名舞鶴まいづる城。「古城考」によれば、建武年間(一三三四―三八)名和顕興が築城し、加(嘉)悦越前守泰行らに守らせたという。長禄四年(一四六〇)葦北郡全域が相良氏の支配下に入ると、相良一族や重臣が配され、深水宗方(入道休甫)や相良晴高らが在城。その後当城では相良家臣により「百日番」が行われた(国誌)。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉直轄領となり、深水宗方が水俣みなまた・津奈木の代官として城代を兼ねた。加藤氏時代には平野五郎左衛門長時・竹内吉兵衛屋次・小代下総・森本儀太夫一友らが城代を勤めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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