津田東陽(読み)つだ とうよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田東陽」の解説

津田東陽 つだ-とうよう

1702-1754 江戸時代中期の儒者
元禄(げんろく)15年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士山県(やまがた)周南に師事し,京都でもまなぶ。享保(きょうほう)18年藩主毛利宗広の侍講,寛延元年藩校明倫館学頭となり,侍講もかねた。宝暦4年9月12日死去。53歳。本姓は八谷。名は泰之。字(あざな)は士雅。通称は忠介。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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