日本大百科全書(ニッポニカ) 「スウェーデン文学」の意味・わかりやすい解説
スウェーデン文学
すうぇーでんぶんがく
スウェーデン文学はその起源を他の北欧諸国と共有していて、スウェーデンにも『エッダ』Edda(800~1200)で知られるような神話や英雄たちの偉業を称(たた)える豊かな文芸が、前キリスト教時代の古代に開花していた。それを裏づける多くの痕跡(こんせき)がある。わけてもレーク石Rökstenen(850ごろ)の碑文は、古代スウェーデンに『エッダ』で頻出する八行短詩の「古譚律(フォーンイーディスラーグ)」の詩形が知られていたことを物語っている。11世紀にキリスト教が伝来してスウェーデンは文化的にヨーロッパ大陸と繋(つなが)り、以後、大陸文化の強い影響を受けるようになった。
[山下泰文 2017年8月21日]
中世
中世文学はキリスト教一色だが、なかでもスウェーデン最初の作家と目されるペトルス・デ・ダーシアPetrus de Dacia(1230年代―1289)による信女クリスティーナに関する伝記と聖女ビルギッタDen heliga Birgitta(1303―1373)の『天の啓示』Himmelska Uppenbarelser(14世紀)は特筆される。しかし、キリスト教とともに導入されたラテン文字による多くの地方法の成文化(早くは13世紀)は、土着文学要素をいまに伝える重要な文学的できごととなった。16世紀にスウェーデン建国の父グスタフ・バーサGustav Vasa(在位1523~1560)が宗教改革を敢行した。その指導者オラウス・ペトリOlaus Petri(1493―1552)は多数の宗教関係書を著し、聖書訳(1526)にも大いにかかわった。そのことで彼は近代スウェーデン語の確立に寄与することになったが、客観的ではあったが反バーサ的な『スウェーデン年代記』En swensk krönika(1818年出版)を書き、バーサの逆鱗に触れた。この時期にイタリアに逃れた大司教マグヌス兄弟も歴史物をラテン語で出し、とくに弟のオラウス・マグヌスOlaus Magnus(1490―1557)の『北方民族文化誌』Historia de gentibus septentrionalibus(1555)は当時、北欧を知るうえで不可欠な民俗学的百科事典とされた。兄ユハンネスJohannes Magnus(1488―1544)が著した『イェート人とスベーア人のすべての王たちの歴史』Historia de omnibus Gothorum Sveonumque regibus(弟により1554年に出版)は、次世代的な色合いが濃く現れた作品だった。
[山下泰文 2017年8月21日]
17世紀
30年戦争の結果、17世紀にスウェーデンは一躍ヨーロッパの大国となり、その結果、古代北欧への偏愛を特徴とする歴史観のゴート主義が文壇でも支配的となった。この気運に鼓舞されて歴史劇分野で功績を残したユハンネス・メセニウスJohannes Messnius(1579―1636)や、苦境のなかで詩才を発揮し「哀歌」で後世に名を馳(は)せたバロック詩人ラーシ・ビバリウスLars Wivalius(1605―1669)等多くの偉才が活躍した。なかでもアトランティスとはスウェーデンなりと主張した『アトランティカ』Atland eller Manheim(1679~1702)の著者で熱烈な愛国主義者リュードベックOlof Rudbeck(1630―1702)と岐路にたつヘラクレスを寓話(ぐうわ)風に歌った『ヘラクレス』Hercules(1658)の著者イェーオリ・シャーンヒエルムGeorg Stiernhielm(1598―1672)は特筆すべき存在だった。後者はその影響が絶大だったため、このスウェーデン・バロック、ルネサンス時代は文学史上、その名を冠してシャーンヒエルム時代ともよばれる。
[山下泰文 2017年8月21日]
18世紀
18世紀は雑誌『スウェーデンのアルグス』Then Swänska Argus(1732~1734)を刊行したウーロフ・フォン・ダリーンOlof von Dalin(1708―1763)等によって啓蒙(けいもう)主義が持ち込まれ、文壇はフランス色を強めた。とくに世紀の後半にはフランス古典主義がスウェーデンでも栄え、時の国王グスタフ3世をはじめ、一大恋愛詩『新創造』Den nya skapelsen(1789)の詩人ユーハン・H・チェルグレンJohan Henric Kellgren(1751―1795)やレングレン女史Anna Maria Lenngren(1754―1817)、さらには聖書を茶化し、背後に死を忍ばせながら快楽を愛(め)でた『フレードマンの書簡』Fredmans epistlar(1790)や『フレードマンの唄』Fredmans sånger(1791)の非凡な即興酒唄詩人カール・ミカエル・ベルマン等、「グスタフ王」時代を華々しく彩る有能な詩人が輩出した。植物学で高名なリンネが、幾多の紀行文で当時の散文文学に貢献したのもこの時代であった。
[山下泰文 2017年8月21日]
19世紀
しかし、フランスやイタリアのラテン文化はゲルマンのスウェーデンで完全燃焼することはなく、やがて19世紀初頭にドイツ浪漫(ろうまん)主義が到来するや、即刻凄(すさ)まじい勢いでウプサラやルンドの小大学町で吹き荒れ、若き詩人たちがその熱烈な信奉者となった。スウェーデン浪漫主義はわずか20年程度の短命ではあったが、スウェーデン詩歌の黄金時代を築き上げた。その最高傑作、御伽(おとぎ)劇『至福の島』Lycksalighetens ö(1824~1827)の詩人パール・ダニエル・A・アッテルボム、古代北欧の英雄譚(たん)を美しく詠(うた)い上げた韻文物語『フリチョフ物語』Frithiofs saga(1825)の著者、司教エサイアス・テグネル、歴史家で詩人エーリック・グスタフ・イェイイェルErik Gustaf Geijer(1783―1847)、官能的エロティシズムを特徴とし、「ネッケン」Necken等の詩で知られるエーリック・ユーハン・スタグネリウスErik Johan Stagnelius(1793―1823)等がその立役者であった。彼らは過激な文芸集団「オーロラ協会」(1807年設立)やゴート主義の復活を標榜(ひょうぼう)した「ゴート会」(1811年設立)を結成し、前者は月刊文芸誌『フォスフォーロス』Phosphorus(1810~1813)、後者は『イデューナ』Iduna(1811~1822)等、機関紙を発行してロマン主義運動を展開した。
スウェーデンに自然主義文学が現れたのは社会問題が強く意識されだした1880年代だが、ロマン主義から自然主義文学への移行期に、小説分野ではロマン主義者でもありリアリストでもあった、今日的サンブー(同棲)概念を先取りする『それでよい』Det går an(1839)の作家アルムクビストやリアリズム小説『ハッタ』Hertha eller En själs historia(1859)等で女性の自立問題を扱い、今日の女性解放運動の先駆者となったブレーメルが、また、詩分野ではスウェーデン詩にリアリズムを持ち込んだスウェーデン語系フィンランド詩人ユーハン・リューネベリJohan L. Runeberg(1804―1877)や社会問題に関心を示したカール・スノイルスキCarkl Snoilsky(1841―1903)等が活躍した。リアリズムの台頭には、このころ出現したジャーナリズム(1830年創刊の全国紙『アフトンブラーデット』Aftonbladetや1864年創刊の『ダーゲンズ・ニューヘーテル』Dagens Nyheterなど)が少なからず絡んでもいた。
[山下泰文 2017年8月21日]
19世紀末~20世紀前半
スウェーデン文壇に自然主義を導入したのは世界的な文豪ストリンドベリで、それも彼の出世作『赤い部屋』Röda rummet(1879)が重要な役割を演じたといわれる。彼は多様なジャンルに筆を染めたが、とくに劇作、たとえば典型的な自然主義演劇『令嬢ジュリー』Fröken Juli(1888)や「インフェルノ期」(1894~1897年ころに経験した狂気寸前の極度の精神不安定期で、この時期をインフェルノ=地獄と称して1897年に自伝小説Infernoで描いた)以降の『夢幻劇』Ett drömspel(1902。邦訳『夢の劇』)のような表現主義的な戯曲で文壇に大きな影響を与えた。しかし、社会の暗部や悲惨さを赤裸々に暴いた過激な現実描写の1880年代文学の反動として、1890年代に入るや、愛と美、甘美な空想、過去そして英雄的な行為を賞美する、祖国愛や郷土愛と絡んだロマン主義(いわゆる新ロマン主義)が再来した。その提唱者は詩集『巡礼と遍歴の歳月』Vallfart och vandringsår(1888)や小説『カール12世の兵隊(カロリーネナ)』Karolinerna(1897~1898)の作者バーネル・フォン・ヘイデンスタム(1916年ノーベル文学賞受賞)で、ほかにダーラナ詩人のエーリック・アクセル・カールフェルト(1931年ノーベル文学賞受賞)、ベルムランド地方に根ざした詩人グスタフ・フリョーディング(フレーディング)、それにセルマ・ラーゲルレーブ(1909年ノーベル文学賞受賞)等がその代表者であるが、なかでも郷里のベルムランドの伝説から着想を得たデビュー作『イェスタ・ベルリング物語』Gosta Berlings saga(1891)で一躍名声を博したラーゲルレーブは『ニルスのふしぎな旅』Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige(1906~1907)で世界的な名前となった。
国際的なモダニズムがスウェーデン文学に出現したのは1910年代と1930年代の二度にわたった。初回は、おもに、フランスの立体主義(キュビスム)や表現主義を起点として、単純な幾何学的構成と簡潔な文体、少数の登場人物、場の焦点化と効果の統一性等を特徴とする独自の表現法を開拓し、のちに信仰と懐疑の狭間(はざま)で苦悩する人間像を描いた傑作『バラバ』Barabbas(1950)等でノーベル文学賞(1951)に輝いたパール・ラーゲルクビストが中心的な役割を演じたが、二度目はアメリカのモダニズム、フランスのシュルレアリスム、南米の前衛文学を文壇に紹介し、自らも創作のなかでそれらを生かしたアットゥル・ルンドクビスト等によって推進された。
[山下泰文 2017年8月21日]
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、スウェーデン文学はその黄金時代といえるほど、文学史上まれにみる開花期を迎えた。そこには普遍的なものの表現へ向う努力と、一片の社会的現実を表現しようとする野心の、いわば相反する二極が認められ、戦後文学の活力はこの二極の緊張の間に潜んでいた。
前者は、エーリック・リンデグレンErik Lindegren(1910―1968)の詩集『道なき人』Mannen utan väg(1942)が暗示するように、特定の道もなければ個人としての特定の顔ももたない普遍的な人間像の創造、そのような人間の条件を描こうとする試みである。この普遍性志向の極に属する作家、詩人には、先にあげたラーゲルクビストのほかに、スウェーデン文学に意識の流れや内的独白の技法を持ち込み、小説『暗い歳月の流れに』Strändernas svall(1946)や『陛下の御世(みよ)』Hans nådes tid(1960)で知られるエイビンド・ヨーンソン(ユーンソン)、科学技術万能時代に進むべき道を失った人類を象徴的に描く詩物語『アニアーラ』Aniara(1956)の詩人ハッリ・マルティンソン(マッティンソン。1974年ともにノーベル文学賞受賞)、さらには「ディーバーン」の三部作でその詩作の頂点を示した詩人グンナル・エーケレーブGunnar Ekelöf(1907―1968)、ほかにも、散文では、1940年代にデビューしたラーシ・アリーンLars Ahlin(1915―1997)や1950年代作家のラーシ・イュッレンステンLars Gyllensten(1921―2006)、ビルギッタ・トロツィッグBirgitta Trotzig(1929―2011)、また1970年代の人気作家パール・グンナル・エバンデルPer Gunnar Evander(1933― )、詩ではユハンネス・エードフェルトJohannes Edfelt(1904―1997)やラーシ・フォシェッルLars Forsell(1928―2007)、とりわけノーベル賞候補に何度もあがり、詩集『バルチック海』Östersjöar(1974)や『悲しみのゴンドラ』Sorgegondolen(1996)等でその詩才が国際的に注目されているトゥーマス・トランストレンメルTomas Tranströmer(1931―2015)等を忘れてはならない。
一方、P・O・スンドマンPer Olof Sundman(1922―1992)の小説『調査』Undersökningen(1958)のように、その関心がスウェーデン社会の調査に向けられている社会調査志向の極では、下層の農場労働者の偉大な描き手イーバル・ル・ユーハンソンIvar Lo-Johansson(1901―1990)と、北米移民を扱った大四部作「移民の小説」Romanen om utvandrarna(1949~1959)で国民的作家とみなされるビルヘルム・ムーベリの二大文豪がまずあげられる。しかし、この範疇(はんちゅう)に属する文学で、形態面で興味を引くのは、1960年代に比較的若手の左翼的傾向の強い作家によるドキュメンタリー形式のアンガージュマン文学である。この集団に分類される作家のうち、バルト諸国出身の亡命兵を扱った『軍団兵』Legionarerna(1968)の著者P・O・エンクイストPer Olov Enquist(1934―2020)、北部の鉱山労働者の問題を委細に調査した『鉱山』Gruva(1968)のサーラ・リードマン、そして中国問題に深い関心を寄せたヤーン・ミュルダールJan Myrdal(1927―2020)とスベン・リンドクビストSven Lindqvist(1932―2019)が特筆される。
しかし1970年代に入ると、これらの作家もふたたびフィクションに戻り、たとえばリードマンは鉄道敷設当時の北部スウェーデンを題材にした『汝(なんじ)の僕(しもべ)は聞く』(1977)などの五部作で文壇に大いに貢献した。シリーズ物の大作で過去のスウェーデンの田舎(いなか)の日常生活を描こうとする傾向は1970年代文学の特徴の一つでもあり、この分野で、ほかにも、ともに過去のソルムランド地方を描いた「ヘーデビュー」シリーズ四部作のスベン・デルブラングSven Delblanc(1931―1992)やシャシティン・エークマンKerstin Ekman(1933― )等があげられる。現代または近未来のスウェーデン社会に鋭い批判の目を向けた作家もいる。『バベルの家』Babels hus(1978)や『洪水のあと』Efter floden(1982)を公にした人気作家、P・C・ヤシルドPer Christian Jersild(1935― )はその一人である。
1970年代、とくにその後半は女性の文壇への進出が目覚しい時代であった。この傾向は1980年代、1990年代、そして今世紀に入ってもなお続く。当初は多少低次元の女性告白小説が多産されたが、近年は、前述のエークマンによる、推理小説紛(まが)いではあるが、多くの読者を獲得した『白い沈黙』Händelser vid vatten(1993)やマリアン・フレードリクソンMarianne Fredriksson(1927―2007)の海外、とくにドイツでミリオンセラーとなった女性三代の大河小説『白夜の森』Anna, Hanna och Johanna(1994)のように注目すべき高質の、しかも人気を博する作品が相当みられる。
1980年代から今世紀にかけてのスウェーデン文学のもう一つの主役は、推理あるいは犯罪小説である。マイ・シューバールMaj Sjöwall(1935―2020)とペール・バールーPer Wahlöö(1926―1975)の「マルティン・ベック」シリーズで1960年代に頂点に達し、その後、停滞気味であったスウェーデン推理小説は、1980年代に「ハミルトン」シリーズでヤーン・ギユーJan Guillou(1944― )が現れるや、にわかに蘇(よみがえ)った。とくにホーカン・ネッセルHåkan Nesser(1950― )と社会批判を込めた犯罪小説「クット・バランデル」シリーズで「マルティン・ベック」の再来を思わせたヘニング・マンケルHenning Mankell(1948―2015)がこの分野の牽引(けんいん)役で、ともに海外での知名度も高い。
海外でもっともよく知られているスウェーデン文学は児童文学で、この分野は、アリス・テングネールAlice Tegnér(1864―1943)やエルサ・ベスコウElsa Beskow(1874―1953)、ラーゲルレーブ等の古典的な作家をはじめ、第二次世界大戦後は『長くつ下のピッピ』Pippi Långstrump(1945)の生みの親アストリッド・リンドグレーンはいうに及ばず、マリア・グリーペMaria Gripe(1923―2007)、バルブル・リンドグレーンBarbro Lindgren(1937― )、ウルフ・ニルソンUlf Nilsson(1948―2021)などがいる。また、10代向け思春期文学では、ハッリ・クルマンHarry Kullman(1919―1982)、グンネル・ベックマンGunnel Beckman(1910―1990)、シャシティン・トゥールバルKerstin Thorvall(1925―2010)、マッツ・バールMats Wahl(1945― )、インゲル・エーデルフェルトInger Edelfeldt(1956― )等、多彩な顔ぶれに溢(あふ)れ、彼らの作品の多くは多数の国語に翻訳されている。
[山下泰文]
『矢崎源九郎他著『北欧・東欧の文学』(『世界の文学史7』1967・明治書院)』▽『山室静著『北欧文学の世界』(1987・東海大学出版会)』▽『谷口幸男編『現代北欧文学18人集』(1987・新潮社)』▽『ペーテル・ハルベリ著、岡崎晋訳『北欧の文学 古代・中世編』(1990・鷹書房)』▽『スウェーデン社会研究所編『新版 スウェーデンハンドブック』(1992・早稲田大学出版部)』▽『フレデリック・デュラン著、毛利三弥・尾崎和郎訳『北欧文学史』(文庫クセジュ)』