流山村(読み)ながれやまむら

日本歴史地名大系 「流山村」の解説

流山村
ながれやまむら

[現在地名]流山市流山一―九丁目・南流山みなみながれやま二―三丁目・同五―七丁目・流山など、松戸流山飛地ながれやまとびち

現流山市域の南西部、江戸川東岸の低地に開ける。北部の根郷ねごうと南部の宿しゆくよりなり、松戸―野田往還が縦断する。人家の多くは同往還沿いに集中して町場を形成、宿の機能を果していた。また地内には河岸場(流山河岸)渡船場(丹後渡)が置かれ、水運と陸送の中継点として発展した。北は村、東は西平井にしひらい村。「本土寺過去帳」に「流山」「ナカレ山」などとみえ、慶長一九年(一六一四)の小金領野馬売付帳(綿貫家文書)にも地名がみえる。江戸時代を通じ幕府領。寛永三年(一六二六)検地で高四九九石余が打出され(流山町誌)、宝永四年(一七〇七)の検地では高六一九石余となった。同検地の内訳は根郷が高二九五石余。反別は田方二七町六反余・畑方一五町余・屋敷二町二反余で、宿は高三二四石余、田方三四町八反余・畑方一三町二反余・屋敷二町二反余であった。屋敷筆数は社寺を含め根郷四八・宿五三、根郷・宿ともにそれぞれ七反ずつの溜井があり、宿には牢も置かれていた(「検地帳」松戸市立図書館蔵)。寛政六年(一七九四)には宿の流作場検地が行われ、下々畑一町三反余・高二石余が打出された(「宿分新田検地帳」同館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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