浄妙寺跡(読み)じようみようじあと

日本歴史地名大系 「浄妙寺跡」の解説

浄妙寺跡
じようみようじあと

木幡赤塚こはたあかつかの木幡小学校付近一帯にあったとされる寺。寺域の範囲や伽藍配置は明らかではない。浄妙寺は木幡寺ともよばれ、寛弘二年(一〇〇五)藤原道長によって、藤原北家一門の埋骨所である木幡墓地に造営された三昧堂に始まる。道長は長保六年(一〇〇四)二月一九日、自らこの地に来て寺地を定め、三昧堂・大門・客殿・多宝塔などを逐次建立した(御堂関白記)。三昧堂の堂供養が行われたのは寛弘二年一〇月一九日で(小右記・御堂関白記)、大江匡衡撰の供養願文が伝えられる(本朝文粋)。その中に「従先考大相国(兼家)、屡詣木幡墓所、仰三重瞻四、古塚累々、幽寂々」とみえ、当時すでに付近には数多の墳塚が散在していたようだ。供養に先立って藤原行成の筆になる鐘銘を刻んだ梵鐘も鋳造されている(権記)。「栄花物語」巻一五には「僧坊を左右に建てさせ給ひ、中に馬道をあけて、十二人の僧を住ませ給ふ。別当・所司を定めさせ給て、夏冬の法服を賜ひ、やがてその辺りの村、一つさとゝなさせ給」とみえる。

寺域周辺に広大な寺領を有したが、永承六年(一〇五一)日野資業によって建立された法界ほうかい(現京都市伏見区)のために、寺地二町を割譲している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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